ぼくは美術畑の出身だったもので、表紙のデザインは、自分が書いた話の内容と同じくらい大事に思っていたんですね。しかしこちらが駆け出し当時は、どんな有名イラストレーターでもOKとは行きませんでしたし、出版社が紹介してくれた人とせいぜい話し合って、やる気になってもらうことくらいしか、こちらとしてはできませんでした。

 藤本蒼猪さんの時もそうだったのですが、最初にあがってきた作品にすっかり感動して、惚れ込んでしまい、以降その人としばらくつき合いが続く。しかし、この画家がやはり状況に馴れてしまって、こちらもうまく刺激が提供できなくなって、だんだん鋭さが落ちていく。そうしたらこっちがまた別の才能と出会えて、この人の第一作にノックアウトされて、またしばらくこの画家とつき合いが続く、ぼくの場合、そういう繰り返しなんですね。だからぼくの表紙の場合は法則性があって、第一作目が最もいいんです。一作目が、必ずぼくをノックアウトしているんです。画家の方も、最初の一作目は挑戦ですからね、全力をあげる、創作への刺激があるんでしょう。

 村山潤一さんがまさにそうで、彼はカッパノベルスの担当編集者である竹内衣子さんが探してきたんです。その頃彼は、ハーレクイン・ロマンスとか、翻訳小説の表紙をぼつぼつ書きはじめていた頃で、でも彼のポテンシャルが抜群であることはあきらかでした。そして最初に描いてもらったのが「出雲伝説7/8の殺人」です。これを見た時は本当にノックアウトされましたね。こちらが絶句するほどの、抜群のできでした。今でもぼくはこの時の「出雲伝説」の表紙が、すべてのぼくの表紙のベスト・スリーに入ると思っています。

 すごく嬉しくてね、もう彼以外には考えられないとまで思いました。それで個人的なおつき合いまでするようになって、当時彼は吉祥寺駅から万助橋を通って、南にしばらく行ったあたりのマンションに住んでいたんですが、そこに彼を訪ねていって、「高山殺人行1/2の女」の表紙用のMG−Bの写真を、一緒に撮りにいったりしました。当時のぼくはカーキチで、寝ても醒めても車のことばかり、どこのディーラーにどんな英国車があるのか、環八や武蔵野市周辺の中古車屋の状況についてはすっかり頭に入っていたんです。

 当時の彼はとてももの静かで、腰が低くて、あれだけの力があるのに、少し不思議な気がしました。人の顔を見たらおじぎばかりしているような印象で、そういう彼の人柄もとても気にいったんです。

 ああこういう人でなくては、あれだけ人の心をゆさぶるような絵は描けないなと思いました。

 青山で行われた結婚式の披露宴にまでお邪魔して、奥さんにも会って、この人が色白でぽっちゃり型の、非常に可愛い人だったんですが、すると以降彼の描く女性の顔が、白人ふうからぽっちゃり型日本人ふうに変わっていくんです。そういうところもすっかり紹介できればいいんですが、ぼくの本のために描いてくださった彼の作品群からも、そうした流れの片鱗は、感じとっていただけるかと思います。

 今でも少し気になっていることがあって、それはこの、新書世界への彼のデビュー作となった「出雲伝説」のための絵ですが、女性の顔をちょっとしかめさせるようなところがあったんです。それは、目の周囲にごくごく細かな皺がいっぱい描き込まれていて、ぼくなどはそれこそが彼のアートの理由であり、精神と了解したんですが、女性たちの中には「嫌、嫌、この皺嫌」、と反応する人がけっこうあったんですね。

 こういう女性的な反応は、ぼくは自分のことのように嫌でした。

 「出雲伝説7/8の殺人」はそれなりに評判になって、まあ売れたし、この表紙は当然目立ったから、以降彼のところに仕事の依頼が殺到するようになって、村山さんは新書表紙作家として、大変な売れっ子になっていったんです。それで忙しくもなったし、彼は人の顔は、ただつると描いて終わりにするようになったんですね。むろんそれはそれで美人画の傑作を生み出していったわけだし、一般受けが命のエンターテインメントの表紙は、そうでなくてはいけないんですが、ぼくは彼の原点を知っていますからね、彼は皺が勝った中年男の顔なんかも描きたい、そういうスーパー・リアリズムの人だったんです。だからまたそういう、原点に戻った彼の力作も見てみたい気がしています。とはいえ、ぼくの本のために描いてくださった彼の第二弾は「北の夕鶴2/3の殺人」で、これがまた大変な傑作でした。皺を描かないスタイルにして、いわゆる美人画らしい美人画のスタイルになってからの、彼の最高傑作と思います。宿命を背負った、はかなげな美女の横顔ですね。これはとても奇麗でした。現代の歌麿と言われる人はいろいろいると思うけど、ぼくは個人的に、この時期の村山さんこそがそうだったと思っています。

 この頃の彼は本当にすごかったですよ。絵が表紙から飛び出してくるようなものもあったし、静かに吸い込むような魅力を持ったものもありました。この時期のぼくの吉敷シリーズが軒並み成功したのも、彼の絵の力があずかって大きかったと思います。

 ここに彼の最高の時期の作品を中心に、「村山潤一美人画集」という回廊を用意しました。この時期の彼の神がかったほどの力量を、是非観賞してください。

2000年7月28日 島田荘司