(1994年9月22日、立教ミステリーへのインタヴューから抜粋)


 とにかく装丁ですが、これは最近のぼくの本の装丁を受け持って下さっている戸田ツトムさんや菊地信義さんという人が、ぼくが小説でやろうとしていた挑戦的なポリシーを、よく理解してくれたんですね。じゃあ私もやっちゃうよという感じで、お二人とも実験的な仕事をしてくださったんです。立場や実績がある人だからね、少々危険だなぁと思っても、講談社も許容してくれたんでしょうね。ぼくも、彼ら二人だったらということで、いっさい口を挟みませんでした。

 「眩暈」でやったトレーシングペーパー装丁の話をしましょうか。実は戸田さんの計算としては、もうちょっと透明度が高い紙が欲しかったそうなんです。

 どういうことかと言うと、これはふたつ折りにした紙を本に巻くわけです。すると、表一の上に二枚の紙が載ることになりますね。そうしておいて、この二枚の紙と、表一にも絵か文字を印刷して、表からそのすべてを重ねて見せるということを、彼は計画したんです。

 一番上の紙の表面に印刷、その裏側にも印刷、その下に重なる紙の表にも絵を印刷、さらに一番下の本自体の表一にもボッシュの絵を印刷、というふうにね、この四つの図像がすべて上から透けて見えるようにと彼は望んだんです。だからカヴァーにトレペを使ったんだけど、残念ながらそれら四つが全部が見えるほどには、トレペの透明度は高くはなかった。

 で、もう少し透明度の高い紙をと捜してみたら、そういう素材はあるにはあったんだけど、透明度の高いトレーシングペーパーは、静電気を起こす力もまた強いんだそうです。これでは埃りが付着しすぎてどうにもうまくいかない。そこで、透明度もまずまず、静電気もほどほどというあたりの紙を選んで使った。それがあれですね。

 透明度が充分彼の計算通りに行かなかったから、彼としては少し心残りだったみたいだけど、あの仕事は面白かったですね。小説も前衛だったけど、表紙のデザインもまた、負けずに前衛だった。彼は、今後またあんなことをやるためには、新しい紙の素材を開拓しなければいけないことを痛感したと、そう言っていましたね。

 確かにあの本、一番下の表一にボッシュの絵があることまでは、ちょっと見えませんね。それから、人間の手というのは湿っているでしょう、汗ばむしね。本を長く手のひらで支えていると、トレペが手の水分を吸ってややひわるんです。よれよれになってしまう。確かに新しい素材開発の要がありますね。

 あれが企業の製品だったら、きっといろいろと上から言われるところなんだろうけど、ぼくはむろん何も言う気はないです。あの仕事には大変満足しています。とても面白かった。「眩暈」の一次出版本は、だから記念すべき実験作なんですよ。持っていたら、将来は珍本になるんじゃないかな。だってあんな装丁、ちょっとないでしょう。世界にもないですよ。