2000年10月1日 議論が非常によい筋道で進んできていますね。現在の教育問題、過去の軍事教育の問題、戦争犯罪の総括の問題、政治家の軍国時代への回帰を目指すと取れそうな発言、そしてこれをそのような意図のものと国民説得する朝日新聞等のマスコミの姿勢の問題。大変良いです。 そして、これらに解答するための材料は、すべてこれまでの議論に現れています。したがいまして私は、これらを用い、現代日本の知識人の誰もが口を割らないでいる解答を導くこともできます。 しかし、こんなことやっていると、御手洗さんの短編書けませんね。今季刊クリスマス号(文字通りクリスマスの日に配本するというもの)の可能性に挑戦しているんですが、ちょっとむずかしそうですね。間に合わなければそれはこのBBSのせいかもしれませんが、しかし私はそれでもいいですよ。嬉しいですね。ともかく、以下は簡単な説明になってしまうでしょう。 論点がずいぶんたくさん現れています。南京大虐殺から、おっぱいの大きい女の方が好きかといった問題まで。そのすべてに考えは述べられないかとも思いますが、やってみます。 上記の問題が少々危険ではないかと考えられ、これまで議論が日本で避けられていたのは、誰も言いませんがおおよそ二つの理由からです。ひとつはこれまでに述べた通り、日本人のオン・オフ・スウィッチ型、丁半博打的に中間がすっぽり抜ける体質ですね、それと暴力体罰発想がすぐ出る病気、この二つです。 これまでの日本の歴史教育が自虐的にすぎる、愛国心を持つのは悪かといった問題。これらに関しては、論理的にはほぼ問題提起者の言われる通りです。これは議論以前の問題ですね。一定量の愛国心、日本人としての誇り、自信、郷土愛、このようなものはどこの国民も持ってよい、あるいは持たなければならないものです。これを剥奪するような教育は誤りです。しかし生徒に自信を持たせようと発想しない教育には、日本人としての健康な誇りもまた与えにくいです。 ともかく、結果としてこの誤りが長く行われてきたわけです。理由は、行った側に国を思い、植民地支配の理不尽な暴力に怒る、強い正義感があったためです。 妻や母が暴漢に襲われたら守らなくてはならないように、国が侵略され、国土が蹂躙されるような事態が起こったら、民は闘わなくてはならないです。平和が最も尊いことだからと言ってここで簡単に降伏すると、そこからヴェトナムのように果てしない民族独立闘争の歴史が始まり、結局火器を提供してくれた側の陣営の配下になるとという展開が起こります。 独立心、自立心が持てないような教育が日本人には徹底していましたから、この平和主義の正義も、実は左翼集団主義になりがちだったわけです。どっちかの集団に属したわけですね。赤軍まで行くと、革命成就の暁には、結局日本を金日成か毛沢東の配下にするということにせざるを得ない、この追求もまたタブーでしたが、だからこれは売国奴的行為であるという右翼の糾弾となり、一方赤軍は、国を米帝に売り渡し、国民を資本主義者の奴隷にすることこそが売国行為で、どうあれ人民を平等に向かわせるべきが幸福という正義があって、この闘いが一時期ありましたが、もう埃をかぶりましたね。 一時期の朝日新聞にもそういう集団主義的左翼傾向はうかがえました。しかし彼らには、かつての軍国のあやまちに戻らないよう監視するという強い正義の心意気があり、多少でも為政者にその傾向があると即刻叩いておかなくてはという道徳感があったわけですね。太平洋戦争の記憶があまりにひどかったために、この正義の空気は国民をすっぽり包むすこぶる強力なものとなり、どの国においても正当な、一定量の国防意識さえもわが国では持ちにくいという結果になったわけです。 何故こうなるかというと、それが先の二つのもの故です。徹底戦争か、徹底平和主義か、こういうただ二つ選択肢発想しか国民間、またマスコミになかったためですね。実際の国防行為には一定量の防戦、これには時として一定量の先制攻撃も含まれますが、そして国の行く末の安全を見すえた俯瞰的な不戦判断が含まれます。非武装中立、一丁の銃も軍も保有しないというのは、国防の実際として現実的でないわけです。つまりここには、ただ戦争か平和かという単純な二元論ではなく、世界情勢を政治的に見すえ、安全保障上どの程度の戦闘行為の用意が今必要かという、座標軸の発想が重要なわけです。しかしさまざまな事情から、平安公家以降、日本人には伝統的にこれができないわけですね。 平和が欲しいなら、現実対処は右翼でも左翼でもなく、「ニュートラル」以外にあり得ないわけです。このニュートラルには幅があり、現在の情勢下では、座標軸上どのあたりの位置にまで戦闘準備を動かすべきかという程度判断、状況判断が、舵取り役には常に望まれるわけです。 日本人に何故これができないかというと、ここを誰もが逃げるのですが、日本軍には伝統的に必ず暴力体罰が現れるからです。リンコさんにヒステリーを起こした体育教師とか、校内放送で生徒を呼んでぶん殴るヤー公生活指導教師が、軍隊となるとずらりと上官となって並ぶからです。あるい五十年前に並んだからです。わが軍隊とは、要するに彼らに毎日殴られることだったわけです。これがとんでもなく嫌で、国防論、憲法論議どころではないわけです。 彼ら自身、どこかでこの時代の影響下にあります。つまり彼らこそが、親父にさんざん殴られた人間たちなわけです。その親父はというと、間違いなく軍隊でさんざん殴られていて、これは軍事用の非常技術だということがあまりの痛みと屈辱で了解できず、平時になってから弱者に腹いせをして楽しんでしまった人たちなわけですね。 いい歳をしてさんざん殴られ、はいはいと言わされ、泣いて許しを乞うた昔の自分、そしてとりわけこの腹いせに、学校で家庭でキレて下位者に暴力をふるって憂さを晴らしたみじめな自分、それらを今はもうとても白状できない。そこで教育問題とか戦争問題となると、毎回ここを避けて建前論をぶつことになるわけです。その建前論というのは、今はオンかオフか、どっちを言っていれば無難かというただ状況判断の産物で、戦時なら鬼畜米英、行くぞ一億火の玉だ! 人の命は羽より軽い、平和時なら一個の命は全地球より重いと言っていればいいわけです。だからここのところずっと後者でやってきた。とにかく戦争は全部いけないと言っておいたわけです。それが現状です。つまり日本人の厭戦体質は、戦争嫌いではなく、軍隊嫌いなわけですね。ここに大いなる嘘がある。 ですから、非武装中立主張のおかしさ、侵略があると即手をあげることになるおかしさ、シーレーンを自国に向かって石油を運んでいて、これが他国に攻撃されても手が出せない海上保安庁のおかしさ、軍隊があってもないと主張しなくてはならないおかしさ、誰が見ても核が佐世保に入ってくるのにないと主張するおかしさ、あきらかに国防をまったく勉強していない政治家に、防衛庁のトップが押さえ込まれている不自然、これらすべてのやっかいや危険に理不尽に堪えてでも、これらに本当のことを口にして、若者に愛国心を植えつけ、いじめを監視する機構を組み込んで日本を部分的に武装、国防力をつけると、丁半博打の日本人は即刻軍内部で腹いせ暴行を横行させ、軍隊は赤信号でも交差点を横ぎり、軍人は銀座のクラブで大威張り、またどこかで勝手に戦争を始めて、やめてくれと言うと罵声でどやされ、さらにやれば不行儀と行儀道徳論で殴られ、天誅と言って正義漢に刺され、ついには国のためと言って殺される時代よりは安全だと、そう考えているわけです。 さて、そういうことなので先の森総理の発言、石原都知事の発言は、それ単体はそれほど気にするものではないのですが、彼らがニュートラルの地位に信念を持って留まり、集団の思惑に屈することのない強い人物かというと、やはりなかなかそうはいくまいなという感想に、私もなります。あまりに抵抗が強いから、また中間発想がないから、頑張って押しきったら本人の思惑以上に一挙に右傾化ということも、わが国では起こりやすいです。まああとは各論になりますから、ここでは述べません。 従軍慰安婦と、南京大虐殺の問題は、これもそれ単体で論じると、やはり集団の思惑に取り込まれる危険がありますね。 南京大虐殺の問題は、東京裁判の問題と私は理解しますが、つまり日本側としては、東京裁判で突然出されてきた難癖ということですが、この東京裁判がまた、これ単体で論じると間違うのですね。 対大陸の問題は、一応西郷隆盛の征韓論あたりまで遡るべきと思うのですが、この征韓論は、リンコさんを怒鳴りまくったセンセーと似ています。あの先生がなんであそこまでお笑いを演じてしまったかというと、要するに、自分がナメられたと思ったわけですね。教育の理念もへったくれもなくて、日本人の常としてのメンツ問題になっちゃったわけです。だから女生徒に必死で謝らせたら、つい自分個人への謝罪、すなわちメンツの問題だということが職員室でバレちゃったので、あわてて自分にじゃない、学校にあやまんなさいと言ったわけです。 征韓論も同じで、日本の三井などが貿易したかったのを、朝鮮側が禁じて、日本は「無法の国」だと貼り紙されたのを日本が怒ったわけですね。このままだとメンツがつぶれる。これに加え、日本には薩長革命に功労のあった武士階級が無用の長物となって、不平士族の反乱が眼前だった。このエネルギーを急いで外部に向けるべしという西郷の思惑があった。 こんなこと話していると果てしなく長くなりますが、この時は西郷の提案は妨害され、結局不平士族の反乱は相継ぎ、西郷自身それで死ぬことになって、結局日本は、西郷が言ったことを、もっと悪い形で遅れてやることになるわけです。それからシベリア出兵、日露戦争、これで得た権益の満鉄の防衛、そしてロ溝橋事件でまたメンツを感じて日中全面戦争になり、兵を退いたら戦争しないとアメリカに言われたけど、またしてもメンツからこれをできず(ほかにもあったけど)、ついに玉砕となるわけですね。要するに威張る軍人センセーのメンツです。 先の母親を守る例で、この母親がたとえ他人に不行儀をしていたにしても、突然の暴漢からは守ってやるべきが正当とするなら、結果として対英民族独立闘争に手を貸したインドのケースよりは、中国問題は正当性が低いですね。自国が侵略されていたら、理由はどうあれ日本人だって怒るでしょうからね。 次に東京裁判が何故行われたかというと、あれは一部反対を押しきって、戦勝国側がニュルンベルク裁判を行ってしまったからですね。だから極東でもやらざるを得なくなった。でもナチ強制収容所に匹敵する犯罪は、日本軍においてもなんとか立証できるであろうとアメリカはたかをくくった。ところが、裁判となるとアメリカには実に具合の悪い事実があって、それが原爆投下でした。ニュルンベルクがもしなければ、原爆投下の米軍は、東京裁判なんて危ないものは当然やらなかったでしょう。 原爆で死んだ人間の数はざっと三十万人と言われた。そこでこれに匹敵する人数の日本軍による虐殺事件を、相殺のために持ちだす必要があった。これが南京大虐殺ですね。南京は当時中国の首都ですから、ここでなら、三十万人殺したと言っても通るであろうというアメリカの読みがあった。つまり、いってみればニュルンベルク裁判決行が、廻り廻って南京大虐殺の、まあ幻想を生んだわけです。 南京侵攻作戦自体は、まず降伏勧告を行い、これがあれば攻めなかったという、まあルールに則った正当な行為です。便衣兵の問題も当然ありますね。また中国軍の味方虐待もあって、トーチカの中に入れられ、逃げられないように上官に鍵をかけられた中国軍兵士もいた。変装逃亡のため、民衆の着衣を奪わんとして、味方人民を殺した中国兵もいた。 しかしそれでも結局は、中国侵攻自体にどこまでの正当性があったかという問題にならざるを得ないでしょう。先で変質したとはいえ、もとをただせば大陸侵攻は、かつてのフォーランド紛争みたいなもので、国内の不平士族のエネルギーを外に向けようと画策して始めたものではあるわけです。中国がどこか外国を攻めていて、これへの懲罰という意味あいもないですしね。イラクみたいに、もともと中国は日本の固有の領土、というような主張もできないです。 この都市南京で、かなりの数の強姦、殺人、また捕虜の処刑があったことも事実でしょう。あとは数と言葉の関係で、これを「虐殺」と呼んでいいか、また上に「大」の字をつけていいかという問題です。この数字が眉唾というのは賛成です。私は、言われる何十分の一であったろうと思っています。しかし以前に誰かが書いてくれていたように、オトコのDNAの問題もありますしね。こういう兵隊が、たった今渋谷や新宿を制圧下に置いたとしたらどうでしょうね。万に迫るレイプや、殺人が起こっても不思議はないでしょう。これはただそれだけの問題で、「あった」、「なかった」でメンツをかけて綱引きするような問題ではないです。 今「レイプ・オブ南京」の著者であるアメリカ人女流作家が、日本人に対して大変に怒っています。彼女の気持ちは非常によく解りますが、戦争ではどこでも一定量の略奪、強姦、殺人が起こます。現在の民族紛争各地においても同様ですね。それが戦争というものです。この写真を証拠にあったと一方が言い、この写真は南京のものと立証できないからないのだと一方が言うのは、もう問題点がずれています。レイプや捕虜処刑のない戦争などはありません。 従軍慰安婦の問題も同じで、「あった」、「なかった」の二元論で綱引きすると、結局詭弁の応酬になってしまい、メンツ闘争になって、たいてい問題点がずれます。そして結局問答無用の愛国体罰主義者の出番となってしまいます。これらはあったに決まっているのです。戦争なんですから。問題はその量です。それが座標軸上のどのあたりに位置するかの冷静な観察が必要です。これらの言葉にふさわしい量であったか否かの判断ですね。 従軍慰安婦の強制は、済州島で、強引な人妻略奪の噂があり、これを行った兵隊は、峠道でトラックを停め、後ろに行って彼女たちを次々に犯したという話があります。こういうものは眉唾と私も思います。しかし旅館の賄い婦という口約束で就職させ、実際にその仕事をさせてもいたが、彼女たちの顔色を見て徐々に金銭とか拝み倒しによって慰安婦に篭絡していった、しかし報酬が約束よりも低かった、つまりこの点でだました、こういうケースも強制と呼べるかどうかですね。現在のAV女優の作り方と同じです。このように、事態はオン・オフ・スウィッチ発想では掴みきれない微妙なものが多いです。 やっぱり長くなりますね。ちょっとここでは語りきれません。 あきさん、お見合い、安心してどんどんやってください。批判的は御手洗さんであって、私ではないです。しかも彼のは、結婚そのものに対してでしょう。私が問題にしたのは、見合いを含む過去の封建制度についてです。これが、愛情を無視した、強い、理不尽な強制をともなったという点です。された人は、必ず人も巻き込みます。お見合い制度自体は合理的な発想と思っています。けれど同時に、さまざまな問題点を含んできたことも、まあ忘れないでいただければと思います。もう滅んだとは思いますが、見合いの方が道徳的であるという空気、意にそわなければ自由に断れる空気を作らなければいけませんが、しかし間に入った人がついつい逃げ越しの相手を追いすがってくどくということが過去起っていたこと。そしてこの人には多く謝礼の高収入があったといった問題。何人も断ることを陰口によって規制する習慣が、地方では起こること、などなどです。結婚相手を選ぶのは、どんな方法によってもよいと思います。 韓国のはすごくドライで、喫茶店に何人もの男をすわられておいて、女の子がちょうちょのごとく渡りあるいて話し、選ぶというもの。ともかくいい相手に巡り合えること、祈っていますよ。 TSU吉さん、よろしく。辻川さん、ああそうなんですか。オリンピック、観ていないので知らないんです。しかしそれはどこの国でも起こるでしょうが、日本の抗議はユーモアがないです。 みやさん、ありがとうございます。障害児教育を続けていらっしゃるとは素晴らしいですね。頭が下がります。そういう方から手紙いただいたこと、とても嬉しいです。問題点など、また教えていただければと思います。 邦さん、非行少年、不幸少年のこと、同感です。日本人のよくない点として、威圧に弱すぎるということがあると思います。相手が少年であっても、簡単に怯えてしまいます。だから日本人は、いつまでたってもこの手軽な方法を捨てられないのですね。少々の威圧にあっても、ぼんやりと突っ立っていればいいのです。怯えていない人間を、人はなかなか殴れないものです。殴る方だって恐いんですよ。また日本人は、自分が怯えないための方便として、相手に上からの説教態度をとることも多いです。これもまた、非行少年を生むもとと思います。 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リンコさん、いつもありがとうございます。頭突き、一発決めて欲しかったですね。山田さんもkikiさんも、そばにいたら加勢するでしょう。これで、ついでにありがとうございましたと言え、とも言ったらヘタなSM小説ですな。 凶暴なもの、感じるでしょう? それなんですよ、日本の若者のキレの元凶は。威圧もけっこうだけど、追い詰められた生徒がキレた時の責任もとって欲しいものです。警察はね、この秘密が世間に漏れないように、員面調書の作文するんですよ。「何か大きなことやって、世間をあっといわせてみたかったです」、うん、こりゃ世間が怒りそうでよい、おい小僧、これにサインしろってね。まあ世間がこれ知らないのはいいとしても、裁判官が知らないのは本当、困るんですよねー。 みほ@九州さん、いつもありがとうございます。@WAにはもう戻らないのですか? ゆのりんさん、そのパンフはいいですね。今度季刊に載せようかな。やまのかみさん、いつもありがとうございます。奥崎さんも、ありがとうございます。両方の言い分、提出すべきです。kikiさん、もう元気になりましたか? ぼめさんも、ありがとうございます。さやかさん、ケムさん、唯一さん、読んでいますよ。ありがとうございます。 みなさんも、またどんどん書き込んで、読ませてくださいね。しかしこんなものすごい掲示板も、広いネットの世界になかなかないのじゃないでしょうか。超弩級、ヘヴィ・メタルのBBSですねー。ではまた。 |