2000年12月31日
 今日、20世紀を終えるにあたって、みなさんに言っておきたいことがあります。
たった今、この20年をふり返り、やるだけはやったという思いがあります。いつか「飛鳥のガラスの靴」のラストに書いたように、努力が要求されるすべての場所に、いささかも手を抜かなかった自信があります。その意味では思い残すことはなく、悔いもありません。ただ自分の、特に30代を振り返ってみた時に、挑発的にすぎ、書くことが必要以上にとげとげしかったかという反省はあります。これは日本という発展途上国の国策から発した、一面やむを得ないとも思える人情のゆがみ、つまり無思慮、無反省の意地悪、上下型構造故の腐敗、これに依存する傲慢と怠惰、そういったもろもろが許せなかったからではありますが、何といっても、失うものなど何もないという一種の気負いが、私に乱暴な言葉を書かせました。賞とか、保身を考慮した政治的な言動、こういうものを自分に禁止して、強引に突っ走るような活動は、自分の力を過信した、ある種の思い上がりだった面もあるかと思います。若さの行使の仕方としては、誤りであったとは思いませんが、傷つけた人もいるかと思います。
 失うものなど何もないと私が思った理由は、こう書くと妙に聞こえるでしょうが、自分にはファンなどいないと思っていた理由が大きいのです。むろん「占星術殺人事件」や「斜め屋敷」のトリックを誉めてくれる人はいましたが、そういう人たちは一過性の存在であって、新しいトリック・メイカーが出てくれば、大喜びでそちらに乗り替える人たちでした。彼らは批判まみれの島田を評して、馬鹿馬鹿しい物理大トリックだけは認めてやろうじゃないかと言い、トリック色を薄くすれば大批判、人情風味の小説を書けばこれまた大批判、そして今は、島田は過去の遺物と声を大にしてふれ廻り、意図的な無視こそが秩序と考えています。こういう人は私のファンではなく、トリックのファンであり、漫才を聞くようにしてこれをゲラゲラと楽しんでいるだけですから、言動を挑発的にして、こういう人たちを鼻白ませることには何の躊躇も湧きませんでした。そして編集者諸氏が「島田ファン」と呼ぶ人たちは、こういう人たちのことと、長い間考えていたのです。
 しかし、SSKと出会った今の私の気分は、「占星術殺人事件」が評価されたことよりも、「アトポス」が売れたことよりも、また蛇蠍のごとく嫌われた御手洗さんが受け入れられるようになったことよりも、SSKとの出会いは大きく、重大な出来事だったと感じます。Green−RoomのBBSと出会った際、私はびっくり仰天して、今まで全然声は聞こえてこなかったが、本当にこういう人たちがいたのかと思いました。ファンという人たちはいるのだと何度か言われ、いつも笑って聞き流していたことが本当だったと、この時やっと実感したのです。どんな痛烈な批判よりもそれは、私を変えるに充分な一撃でした。これまでもファンレターでよいものはたくさんありましたが、しかし私に宛てて出すものに、それは悪いことが書けるはずもありませんから、感謝し、励まされはしても、すっかり本気にすることはありませんでした。
 サイトは、私に向けて書いているわけではありませんから、いかに批判的なことを書いても、大威張りの陰口を書いても問題はないわけです。また実際そういうサイトがたくさんあることも知っていました。しかし何も規制がないはずのGreen−Roomには、そういう威張りや陰口の気配が見あたらず、しかもどこよりも才能があふれていて、私がこの時に感じた気分の高揚は、言葉になりません。20年間作家をやってきて、この時の思いを表現する言葉が探しだせないのです。
 とはいえ、同時に例の恐さもあって、手放しで感動などしていれば、また誰かがメイルをくれて、あそこにだってかつてこんなひどい陰口があったんだと、また御手洗同人漫画の時のような忠告を受けるかもしれないとも思いました。だからこの時も、当分の間、表だって行動するようなことはしませんでした。
 しかしSSKがここまで来た今、私は自信を持ってこう言うことができます。SSKと出会って、私は確実に変わりました。よい意味で、失うものができたのです。それが、誰かが季刊の愛読者カードで指摘してくれていたように、季刊01の「日本学の勧め」のような日本人への改善提案をしていても、文章から不必要な過激さの影をひそめさせ、丸く、安定させたと思います。気分がどこかで安堵し、落ちついたのです。
 このことに、私は深く感謝しています。時代の区切りのこの時、私はSSKの一人一人に、この気持ちを伝えたいと思います。活力をもらい、純粋さをもらい、正義をもらい、どんな政治意識とも無縁な、透明な何かをもらいました。このことには、どれほどに感謝しても足りないと思っています。あなた方と出会ったことは、20世紀の私の仕事への最大の、そして最良の報酬でした。
 SSKは、今大きな可能性を持っています。それは私を発奮させるというようなささやかな効果から、日本国民を救えるのではといった大きな可能性まで、幅広いものとして存在しています。来世紀、私はみなさんのためにも最大限の努力をしますが、見返りは要りません。だから今後、私が何か手助けをしたとしても、私の本を買っていただく以上の謝礼は、いっさい無用に願います。むろん、本も買っていただかなくてもいいです。
 それから最後に、こんなコメントもつけ加えなくてはならないのは憂鬱なことですが、サイトの規模が大きくなってくると、理不尽な妨害が必ず入ってきます。それらは、巧みな嘘を組み合わせて私の名誉を汚し、メンバーを惑わそうとするものです。来世紀、SSKが次の活動段階に入れば、島田中傷は確実に大きくなります。外部メディアも巻き込むでしょう。こういう時、私のことは信じてくれなくてよいですから、ただSSKの将来への意味を信じ、この可能性を潰さないように考えて、行動を決してください。
 残念なことですが、この言葉の意味は、近くみなさんに理解されるかもしれません。しかし私は、自分を見失ってこんな行動をとるこの人こそを、救いたいと願います。だから、現時点ではこれ以上のことは言いません。
 みなさんを家族のように大事に思っています。そしてみなさんの誠意と、日本人を愛する気持ちを信じます。だから今後、たとえ何があろうとも、私の方が裏切ることはありません。SSKをもっともっと大きくしたい、苦しんでいる人を救いたい、すさんだ彼らの心を癒したいと願っています。そしていつかは日本を、後輩や他者に優しい国に変えたいのです。
 私の作品を読んでくれるみんなを愛しています。そして、そうでない人も愛したいと願っています。私やSSKを、正義のために潰したいと願う人々も、そういう私の真意を、いつかは解ってくれるでしょう。ではみんな、よいお年を! 私は、どんな妨害にも屈しません。来年もやりますよ!
 
 
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