2000年9月13日
 御手洗さんに会ってきました。先日は、御手洗さんへのたくさんの質問、ありがとうございました。彼はパーティのためにダークスーツを着ていて、とても格好よかったですよ。
 しかし質問は、時間なかったもので、原則的に最初の一日目にいただいたものくらいしか訊けませんでした。あえて「さらば遠い輝き」の舞台に彼を連れだして話したのですが、石岡君はどんな風貌なのでしょう、日本的な優しい顔だちであることを期対するという声が多いのですが、と私が言ったあたりから、彼はみるみる真面目に応えてくれなくなり、そんな質問よりあの観覧車に乗りませんかと言われてしまって、あとは駄目でした。しかし、最初いただいたものの大半は訊けました。
 一匹狼さん、はじめまして。あなたの書込み、大変感動しましたよ。質問も、あなたのものがはじめ頃だったせいもあって、彼はずいぶん言葉をつくして応えてくれています。HNよいですね。一人でいる時間を持つことは、ものを考えられるし、集団全体が判断を誤っている時、これに染まらないでいられます。
 houmeiさん、はじめまして。陪審制度と参審性についての質問、彼は応えていますが、時間がなくて、言葉が足りないかもしれません。これは現在重要な問題なので、もっと論点を絞って訊いていただいたなら、そのうち私も考え述べたいと思います。
 リンコさん、頭の悪いシベリアン・ハスキーは好きかの質問、しました。頭の悪いとただし書き付きのそんな質問が本当にあるのですかと彼は言って、不審がっていましたが、一応応えていました。しかしもうひとつの質問は、時間切れでできませんでした。
 角田さん、日本の女性のこと、訊きました。しかしこれはかなり後半で、手短に処理されましたね。
 里美@会社さん、石岡君が御手洗さんにeメイルしているかの質問、しました。
 William Take Rikerさんにしゃくていさん、お二人の質問には、今は応えられない理由があるのだということでした。しかし、マイルスと出会った場所については応えてくれました。ギブソンJ−200については、やはりシャクティのことは言っていました。
 しゃくていさん、「音楽から御手洗小説を楽しむ方法」、期待しています。楽しくて、しかも資料価値のある、ある程度高度な内容であれば、私も関わり、本気で出版を考えます。今度の原書房の「攻略本」で氷川透さんが書いてくれている「ギタリスト御手洗のジャズ史的位置」が、非常に参考になると思います。あのくらいのレヴェル、そして密度が目標ですね。できたら見せてください。
 まず管理人の杉永さんのところにメイルしてもらうのがいいでしょうか。そして一部をtenさんの「奇想の源流」に発表するというような段取りがいいかと思います。この判断は私にさせてください。全部サイトに発表してしまうと、これは出版しても買う人がいなくなりますから。しかし、一冊を構成するほどのものにならなければ、南雲堂で「パロディ・サイト2」を作り、ここに収録するということもいいでしょう。実現するという約束はまだできませんが、充分な可能性があります。是非頑張ってみてください。
 十織さん、はじめまして。あなたの質問は聞きました。応えてくれています。
 ゆのりんさんの質問も、ちゃんとしましたよ。答え聞いています。
 ぽめさん、エマノンさん、龍姫さん、ゆうさん、ネコさん……は、はじめまして。Pattyさん、みなさんの質問、今回はちょっと訊けませんでした。すいません。必要なら私が応えますので、もう一度私に質問してください。いや、Pattyさんのはちょっと私は応えられないが。
 ゆうさん、「ヒッチコック論」は届いていますよね? 私がまだ何かした方がよいようなら言ってください。考えます。「教えて007」は面白いコーナーですね。あれはあなたのアイデアなのですか?
山田さん、はりぃさん、ようさん、真洸さん、四次元さん、リョウさん、妙さん、あなた方の質問はしました。充分ではないかもしれませんが、彼から回答もらっています。
 AGさん、世の中でオリンピックなるものがあることも、彼は知りませんでした。AGさん、ALSについてもっと情報お持ちなら、いずれまた教えてください。
 みほ@WAさん、プリスクールの先生だったんですか。すばらしいですね。おっしゃること、今の日本には大変に重要なポイントです。ゆのりんさんの発言もそうですね。一匹狼さんの意見、質問と通底すると思います。このことは御手洗さんも話していました。要約すれば、日本の教育自体が最初は富国強兵、続いて高度経済成長としての富国、この目的に設定を合わせた兵隊育成のものであったから、国際的、あるいは本来的な教育のありようとはかなりずれていた。生徒に自信をあまり持たせすぎると具合が悪い、自立心を持たせすぎるのはなまいきだ、全体主義的国策に合わない、と教育側も内心のどこかでは考えていて、口にする教育の建前と、本音とが裏腹になっていた。自信をあまり持たせないように、過ぎた自立心は持たせないように、といった具合に結果としてはなっていた。ところが、これが教師への暗黙の要求でもあったはずなのに、これが通用しなくなると、今手のひらを返して教師一人のせいにしている、といったような把握であっと思います。むろん述べたことは、日本の教育者全員の姿ではないのですが。
 みほ@WAさん、御手洗さんはPTクルーザー、知りませんでしたが、私は知っています。出た当初から気になっています。季刊で試乗記やりたいと思ったくらいでした。しかし紙面がいっぱいになって、やれずじまいです。
 あの車は実によいパッケージ・コンセプトを持っていますね。車高があるので、座席後方の収納スペースの配分が合理的です。しかし操縦安定性、トルクとかパワーなどについては、まだ乗っていないのでコメントができません。ともかくこの車、LAでは増殖しつつあります。今のところ、不都合も聞きませんね。乗りましたらまたご報告します。
 えむえむさん、あなたの要求にはお答えできます。つまり、述べたようなわれわれの一問一答、会話の様子は、「御手洗潔、その時代の幻」と題して、原書房の「御手洗潔攻略本」の最後に収録します。この文章はすでに原書房にメイルしました。本の発売は、十月末か十一月の予定です。正確な日付は、例によって「季刊 ON−LINE」に発表されるでしょう。
 今回の小説だかエッセイだか不明の文章、しかもごく短いものですが、私はとても好きなのです。今までの中で、ひょっとして一番好きじゃないか、などと思ったりもします。しかしこれは、書き終わったらいつも思うことなので、まったくあてにはなりません。このような一文を書かせてくれたみなさんには感謝します。特にリョウさん、よいポイントを提案してくれました。あなたの言で、忘れていたことを思い出しました。
 
 さて、あとは挨拶です。まず忘れないうちにこれ、言っておきますが、「奇想の源流」のパロディ・サイト、今までえむえむさんと山田さんの作品くらいにしか言及していませんが、これはほかの作品が面白くないという意味ではありませんから念のため。ともかくめちゃめちゃに忙しく、読む時間がないのです。しかし近く、必ず全部読みますからね。
 そう、えむえむさんと言えば、アメリカにエム・アンド・エムという人気チョコレートがあって、この名前をもじったみたいな「エミネム」という白人ラップ・シンガーが登場して、今めちゃめちゃに受けています。こっちではちょっとアップ・トゥ・デイトな名前ですね、えむえむは。あんまり関係ないことでしたが。
 葵さん、そういうことでしたか、怒っていなくてよかったです。めぐ太さん、はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 しょうこさん、はじめまして。ALS、社会福祉の問題について、またいろいろと教えてください。つぐみさんも、よろしくお願いします。たちかぜ颯さんも、専門家としての情報、是非お願いします。
 SHINOさん、社会福祉の問題、教育の問題、テレビで語っていただけたらと思いますね。どこまでコメンテーターの主張が入れられるか、啓蒙意識を持てるかは、むずかしい問題とは思いますが。書物のノンフィクションも、実は作者が構想するストーリー世界なのですね。テレビ、特に民放は、このストーリーを手早くできあいのものを借りて商売してしまうのでしょう。やはり地方の主婦の多くは、身につまされて泣くのが好きという現実はまだまだあるのでしょうから。しかしNHKスペシャルはずいぶん頑張っていますね。あれは世界一級の水準にあります。
 Exitさん、それとも矢部さん、はじめまして。「奇想の源流」、オフ会報告などでお名前はよく拝見していました。よろしくお願いします。
 ラルムさん、はじめまして。よろしくお願いします。
 死刑の問題ですか。これは簡単に語れないですね。スペースもないです。おっしゃることは、以前からある議論なんです。現在の私の主張は、この本質議論にいたる手前に、議論すべきさまざま多くの問題があるということです。
しかし逃げる気はないからまず述べますが、最愛の人を殺された際、この犯人を殺したいという欲求、これは誰にも自然なものとしてあります。私自身はこれにもむろん反対ですし、ここにも多く言いたい事柄があるのですが、乱暴にいえば、もうここはいいと思います。つまりあってやむを得ないと言っておいてもいいです。この議論まですれば長くなりますから。必要なら後日また述べます。
 最大の問題は、死刑によって殺されている人、また殺されそうになっている人に、犯人でない人がまじっているということなんです。しかしこの人が、真っ白ではないということは多くあります。前科がいくつもあったり、殺人にどこかで加担していたりもする。しかし、ともかくやっていないものはいないと、そういう現実があるのです。真っ白で、反論がむずかしい精白の人が犯人にされている、という許しがたいケースもあります。私が死刑に反対する最大の理由はここです。
 映画、「デッドマン・ウォーキング」などに、みな幻惑されていると思うのです。あれはムーヴィー・カメラが目撃者です。だからショーン・ペンが犯人の一人であることには迷いがありません。ところが実際の裁判に関わってみると解りますが、目撃者、つまり被告が犯人であると立証してくれる人は、たいていの場合いないに等しいのです。多く、前科があってアリバイがないから彼が犯人だろうと、適当に見当をつけて裁いているのが現実です。「デッドマン・ウォーキング」もまた、もしあれが現実に起こったなら、この典型となり得るケースなのです。レイプ殺人の犯人がショーン・ペンと知っている者は神だけです。深夜、人っ子一人いない山の中なのですから。もし目撃者がいたら、犯人たちは彼を射殺したでしょう。つまり死刑が、新たな犠牲者を出すわけです。
 国家による殺人である死刑は、毛ほども疑いがない必要があります。被告が真犯人である自信はちょっとないが、秩序維持のため、検察の要求で死刑判決を下さなくてはならないというケースが数多いなら、懲役刑だけにしておくのが安全だということです。ただし現行の刑法では、無害な老人になる前に殺人犯やその被疑者が出所してしまうケースがあり得ますから、刑法を変えなくてはならないだろうとも言っているわけです。
 私は死刑を容認するケースも考慮します。それは戦争ですね。もしくはこれに準じる戦闘行為。これはいかに死刑を制度的に廃止した国の民であっても、敵兵は射殺しなくてはなりません。連合赤軍、そしてオウムも、これが軍事クーデターと立証できるなら、死刑もやむなしと考えます。
しかし日本は、戦争はこれを永久に放棄していますね。つまり日本国家は、宣戦布告をする権利を放棄しています。宣戦布告とは、敵国民は犯罪者であるから、国際正義の実現のため、これをせん滅処刑せよという国家命令です。だから、これを放棄したのであるなら、ある殺人者を矯正不能の者とみなして処刑せよと刑務官に命じる権限も、放棄したとみなすのが合理的であると、このように言っているわけです。
 長くなってきますから、今回はこれで。また。
                                 島田荘司
 
 
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