2001年3月20日
「作品リスト」がずいぶんできあがってきました。現在六部から七部完成といったところでしょう。80年代のスペースは、すっかり黄色文字とプレートとで埋まりました。黄色の文字が表紙のあがっている本、暗い緑の文字が、まだあがっていない本です。
 御手洗シリーズと吉敷シリーズに限っては、プレートで表示しています。御手洗が金プレート、吉敷が銀プレートです。御手洗シリーズは一次、二次、三次出版という経過を持っているケースが多いのですが、このすべてを金プレートにすると混乱するので、三次出版の文庫に限り、新たに銅のプレートを作って示しました。吉敷シリーズも、文庫版は同じく緑青の銅をイメージした、グリーンのプレートを新たに作って示しています。
 そして文庫の表紙は、基本的にすべて、新たに作った銅製のシンプルな額縁に収めました。しかしウィリアム・モリスの表紙は、現在の木製の額がよく似合っているので例外的にそのままとし、光文社文庫版の「占星術殺人事件」は、物議を醸した記念に、大きな額のままにしています。「斜め屋敷の犯罪」はこれと対に考えられているので、光文社刊に限ってはこれも装飾的な額に入れたままにしてあります。
 えむえむさん、極楽桜丸さんの協力で、あらすじもずいぶん用意できました。一次出版の表紙部分をクリックしてもらうとあらすじが出ます。まだあらすじを持っていない本は、初期寄りでは「消える上海レディ」、「嘘でもいいから殺人事件」、「漱石と倫敦ミイラ殺人事件」、などといったところです。桜丸さん、これらもひとつお願いします。また、もし残っているこれを含む何冊かのあらすじを書いてあげようという人がいたら、申し出てくださるようにお願いします。
 私自身のエッセイをともなったものも、初期寄りの本にはいくつかあります。また「出雲伝説7/8の殺人」には、村山潤一さんの美人画回廊への入り口があります。
 このリストは管理人の杉永さんと一緒にこつこつやってきたものですが、おかげで杉永さんは、今やCGデザインの達人となりました。杉永さんの労作を、是非見にいってください。
 これにともなって、WS刊の部分工事をしました。完成に近づく「作品リスト」を見やすいように、扉に出してボタンを付けました。今までは階層が深くて少々見づらかったですのでね。
 それから007さん製作のMovie「WS刊FLASH」を、当サイトWS刊の顔とするため、これも独立させてひと部屋を設けました。これへの入口は、左側の列の一番上のボタンです。再公開のため、007さんがMovieに少し手を入れてくれました。「ポルシェ911の誘惑」の文字飛び去るところ、風の音とよくシンクロするようになりました。
 これを紹介する私のコメントや、投稿展示室に置かれた3D作品を紹介する私の発言も修正し、「ゆ。」マニアさんの粘土作品へのコメントも新たに加えました。この謎の人物が誰であるかはみなさん推理してください。この書込みがBBSにあがると同時に、扉ページも変わっています。扉のボタンから入って、これらの作品群をもう一度見ていってください。
 それからみなさん大注目の、パロディサイト2への応募作品についてですが、多数集まりました。SSKの常連で埋まっており、作品水準はきわめて高いです。私は一応全部読み終わりました。しかし発表はもう少し待ってください。間もなく、なんらかの形で中間報告を行います。
 ここでちょっとご挨拶を。はじめての方もいらっしゃいますね。マダムGさん、はじめまして。おっしゃること、同年代人として共感します。コタツさんようこそ、また来てください。コタツとかストーブという言葉は、良質サイトの美点をうまく表していますね。優花さん、はじめまして。バイリンガルの方なんでしょうか、素晴らしいです。ここはアメリカ在住組、多いですよね。
 ma−sさんようこそ。中学生とは末が楽しみです。小説は書かないのでしょうか? 未来淳良さん、ようこそ。石岡さんの本、今私も作っているんですよ。「石岡和己攻略本」です。実働はすべて終わりました。石岡君の馬車道買い物マップとか、お勧め散歩コース付きです。911Sタルガさん、はじめまして、これは乗っている車の名前ですか? 今のタルガは、サンルーフがスライドして後方に収納されますね。これがひょっとして今のドイツ車、ビートルだのアウディだののグリーンハウスの、コンパス円的形状トレンドの、ヒントになってはいないのかなと思うことがあります。しかし最近は車から離れましたのでね。よく解りません。
 村ドンさん、いつもありがとうございます。一匹狼さんは久しぶりではないですか? 自費出版、それがもし小説で、本格寄りの傑作であるなら、近い将来、SSKノベルスの目もあります。また最近は、自費出版を請け負ってくれる中堅出版社は増えていますね。あなたがその人、あるいは作品に、自費出版を勧める理由はなんでしょう。そのほか常連の方々、いつもありがとうございます。
 さて、この掲示板でも話題になっていました裁判員の制度、村ドンさんも言ってくれていましたが、日本のお偉方のやること、お茶を濁す程度の現状維持かと大方に予想されていましたが、それよりは多少実のあるものとなりつつあります。法律専門家は当然無関係というでしょうが、判事の奥さんのストーカー事件、検事による判事への情報漏洩問題が影響しています。あの手の事件があとひとつふたつあれば、一気に陪審制にも飛べたかもしれません。惜しいことです(笑)。
 事件に巻き込まれた判事は、刑事事案を常時4〜50件も抱え、連日夕食後には眠り、早朝に起きては判決文を書くという生真面目な人物でした。その意味では大変気の毒なことです。弁護士もみな4〜50件の民事事案を常時抱えています。刑事事案は、民事よりは争いは少ないでしょうが、この量からはもう、判事への責任を軽減してあげるべき時と言うべきでしょう。またIT時代の現在は、昔と違って多くの誘惑があります。判事夫婦は、性欲も金銭欲もない聖人と言いくるめるのはもう無理があります。むしろエリート意識と面子意識の強い、より日本的な日本人であり、自身に不快を与えたものへの懲罰発想も大きい、またこれを正義と発想もしやすいと考えるべきです。
 陪審制と参審制の一番大きな違いは、前者の場合、陪審員室には裁判官が入ることができないという点です。陪審員の判断に、判事の直接的な影響はないわけです。一方後者は、判事を交えて判決を探るのですから、専門職の強い影響下にある、と考えなくてはなりません。このために陪審制を支持する人たちは、裁判員は陪審員と同等の12人ともしないと、判事に太刀打ちはできず、日本の御家芸であるところの裁判のセレモニー化を変革できないと考えています。一方判事側は、日本人にはまだ陪審員は無理、と伝統の愚民発想を堅持しています。また民自身、年下とか茶髪ギャルに判定されるのは秩序維持上好ましくないと、これまた判事と同じ日本的な上位発想でもって事態にブレーキをかけています。そしてどうしても改革やむなしならば、裁判員2人程度に参加をさせたらよかろうと考えています。
 充分に認識されてはいませんが、日本の裁判は、実は歴史的に国策上の重要ポイントとなってきました。上位者への儒教上の無礼がすぐに死刑となるため、このような土人の国と対等な国交は結べないとする危機意識が、治外法権の根拠となっていました。日本人の行儀道徳は、文明人には時としてただの野蛮であるわけです。
 そこで明治の先人は、対海外宣伝もあり、危険な裁判をいくつもなんとか論理的に裁いてみせて、列強との平等な条約にこぎつけました。そうしたあとは軍国と富国の時代に突入し、国内的には手のひらを返して裁判はできるだけ民に開かせないようにして、開いてもこれをセレモニー化して結論を先行固定するようにしてきました。そうでない場合も、好ましい判決は最初から暗黙のうちに心得られたのです。宮沢賢二の詩にも、訴訟はつまらないからやめようという一節があります。
 これは軍事的にも経済的にも、侵略の危機がある以上は正義でした。判事の妻の事件における検事の情報漏洩も、こういう時代の正義感が踏まえられています。そして今ようやく侵略の危険が去り、法に則って正当な判決を成してもいい時代に入ったわけです。しかし先の妻や検事のように、偉い人の傲慢が秩序維持上の道徳と確信される日本体質が、未だに払拭できていません。
 今改革審議会でまったく議論されていない大切な問題があります。それは法廷の工事ですね。陪審制度を行うには、裁判所に陪審員席を作るための膨大な工事が必要です。これが無言のブレーキになっています。裁判員が10人ともなれば、同様に大変な改造工事費用がかかる可能性はあります。椅子を二人余計に並べるだけならたいした工事は要りません。しかし裁判員が二人、判事の横か下(これは儒教人にとっては大きな違いですが。日本の法廷の判事の席は高すぎます)に並んだだけでは即刻例の日本型セレモニーとなり、一応国民の話を聞いたという体裁がとられるだけに終わるでしょう。検事、判事、警察側は、これを望み、狙っています。ある程度の裁判員の人数がなくては、司法試験上位合格者の専門家に抵抗はできず、判事という教師のもとでの法律勉強会になってしまいます。判事に、これでは陪審制度の方がまだマシだと思わせられるなら、道は拓けてもくるでしょう。
 裁判というものは、われわれが考える以上に日本人の歴史の重大な転換要素でした。ただ犯罪を裁くシステムというだけに留まらず、これの正当な行使が、植民地化を直接的に防いだといえますし、封建体質を減少させもしました。そして今また、長い威圧と愚民の時代を終わらせ、自由な新時代を拓く可能性を、この改革が持っているといえます。
 
 
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