原書房T橋さんへ

2000年3月26日のMail。


T橋さん、
 「新小説、金獅子の世界への招待」という原稿、やっとできましたのでお送りします。けっこう苦労しましたね。「横浜日本初年譜」というものがついています。

 もうひとつの原稿は、以前にお伝えしました、例の秋好さんとやりとりした手紙集です。双方ともにセレクトしました。手紙は各々ごく短いものです。秋好さんのものの方は、赤を入れて不必要なものは捨てましたので、こちらはファックスにて送ります。全体の文章がゲラになったところで、全体を俯瞰して、冒頭に説明の文章を書こうと思っています。その方が過不足ない説明が浮かびますので。ですから、双方の文を混ぜ込んで日にち順に並べ、ゲラ出していただけると大変嬉しいです。

 そちらでこの説明文の分量言ってくだされば、たぶん合わせられると思います。この記事は、2段組でも3段組でも結構です。見開き2ページには最低収まると思います。彼は確定していますから、私に直接は手紙書けません。奥さんと、弁護士さんに宛てた手紙の中で、さりげなく私宛てのメッセージを折りこんでいるわけです。こういう事情は、最低説明しておかなくてはならないでしょう。

 「金獅子」の方は、「横浜日本初物語」といったような趣旨の、関連随筆を何回か連載するのがよいと思っています。これはきちんと頑張れば、「横浜全書」とでも いったようなものが、幅産物としてかたわらに生れ落ちるようにも思います。当時の居留地の地番(今の山手町のものと同じ)に、歴史的な建物をすべて当て填めて略地図を作り、面白おかしく幕末のエピソードを語るなどということをやっていけば、今の時代、けっこう受けるように思います。こういうものないわけですから。でもそのためには、もっと資料必要ですね。まあざっとなら、今いただいたもので充分ともいえますが。これらはすべて面白い本です。ありがとうございました。

 それで今回お送りしたこの文章、資料写真、絵図、各種地図など、ヴィジュアル挿入する方が、とっつきのよい読み物になるように思いますが、こちらに資料全部送ってもらってしまっているので、そちらにはないでしょうね。おもだったもの、地図など、コピーとってフェデラルで出そうかなとも思いますが、これについてT橋さんに考えあったら教えてください。今回は、幕府の説明などがありましたから、ちょっと硬かったですが、次回からの横浜物語は面白くなると思います。

 ところで、「金獅子」の物語に理想的な登場人物、横浜居留地にいましたね。サーカスのリズレー・カーライルです。この人の伝記、斎藤多喜夫「幕末横浜居留地の風雲児−リズレー先生」(開港の広場15号)というもの、是非コピーなりが欲しいです。小説も、エッセーも、必ず面白くなる予感あります。すいませんが、これだけは是非、探していただけないでしょうか。季刊本、なかなか充実してきました。あとひと息ですので、すいませんが、よろしくお願いします。もしこれだけの文字面では探せないということなら、もっと紙面渉猟してから報告します。

 これでやっと一段落しましたので、これからそちらの月曜朝までに、HP用の募集文、書こうと思っています。またすぐに続けてメイルを送ります。では。

島田荘司。


2000年4月3日のMail。


T橋さん、
 メイルいただきました。目次に関しては、あれで完全のように思いました。最後に「小箱」か、「一枚の写真から」で閉めるのが私もよいと思っていましたので、これで賛成です。この二つの随筆は、感触、発想が似たものなので、離した方がよいと思います。だからこれで完全ではないでしょうか。

 メイルに原稿のことが触れてありませんでしたが、「オスロの木箱」の原稿は、届いていないでしようか。もとしそうなら言ってください。もう一度、ただちに送ります。

 このエッセーのタイトルですが、目次にある通り、「地球紀行・追想フォトエッセイ」という方がよいですね。なんとなく別の言葉書いていますが、これで行ってください。

 「思い出入れの小箱たち」というタイトルは強烈に少女趣味ですが、これも悪くないですね。確か「パリダカ漂流」の、ハニーとの出会いを綴った文章で、私自身このタイトルを予告していますので、やはりこれがいいのかなと思います。これを小さくサブタイトルに、「オスロの木箱」とか「ダカールの箱」、「インドネシアの木箱」、「キーウエストの貝の箱」、などと毎回やっていくのがよいのでしようね。

 この目次で、私がひとつだけ意外だったのは、グラビア「御手洗潔の風景」が、「山手の幽霊」より後に来ていることです。通常の雑誌作りでは、グラビアの方が先でしょうから。しかしこれも、この方が定型を壊していてよいと思います。

 もう一点、「山手の幽霊」と「山手の亡霊」が混在していますね。「幽霊」の方が多いようです。どちらでもよいですが、まあ「幽霊」かなと思います。

 大島さんのことは承知しました。できあがった文章見せていただいたら、すぐに紹介文を書きます。彼女の方が遅れるようであれば、なしで書きます。

 後書きの件も、承知しました。

 それから、「LA暮らしへの招待」という小コーナーも、一応原稿送る予定にしています。写真入れた方が解りやすいケース、あり得るかもしれません。カラーの必要はないかもしれませんが。

 「山手の幽霊」、再校に朱入れ終えました。良くなったと思います。フェデラル本日は休みなので、明日月曜日に出します。「オスロ」の写真など、若干入れておきます。

 次回の御手洗さんもの用に、非常に面白いアイデアがあるのです。またゆっくり書きますが、シベリア出兵でロマノフの財宝を持ちかえって、日本での選挙資金にして首相になった軍人がいましたね。ちょっと名前今失念しています。田中義一といったかな。これと、死体の出ない例のアナスタシア、これらに関しての資料本、原書房は出していなかったでしょうかね。もし存在していたら教えてください。読みたいものです。しかしこれは、やっぱり長編なのかな。いくら刈り込んでも、百五十枚にはならないでしょうね。

 それから、以前にお見せした松尾氏の「躊躇するE」、ちょっと手を入れたらしいものがまた送られてきました。それから以前にご紹介した石川良さんが、昔の私のショートショート作品「ガラスケース」を、戯曲にした原稿、送ってくれました。とてもいいものと思います。転送しますので、読んでみてあげてみてください。彼女はこれ、実際に舞台にあげるつもりなんだろうと思いますが。

 では今回はこんなところで。

島田荘司。


2000年11月22日のMail。


T橋さん、
 ようやく峠を越え、静養していらっしゃると思います。昨夜こんなアイデアがふと浮かびました。これは冗談で、別に本気ではないのですが、やっても面白いな思います。

 究極のパロディー、腹書房刊「石岡和己攻略本」を、ついに刊行するわけです。中には、平成に入ってからときめいたアイドル歌謡のCD紹介をカラーで満載し、ピチピチ水着ギャル、昔懐かしいブルマー・ギャルたちのカラー写真のオンパレード、そして石岡おじさんは何故こういうユニ・セックス娘たちに惹かれ続けるのか、の心理学的、また日本近近代史的な考察をつける。今巷に増殖しつつある、21世紀に向ける「石岡クン型おじさん」分析講座。

 創作はむろん優木麦氏の「石岡君***に行く」シリーズを中心に、ギャグ作家リョウの「石岡クン買い物日記」、馬車道買い物マップ、関内いきつけの店、これが 石岡センセー作のイラストだ、初公開(さちみりほ画?)。これが石岡クンのギターと楽譜だ、初公開。全部指の位置が絵で描いてある。そして私も、センセーの山口県での生いたちの秘密(あまりにもノーマル、人にわざわざ語るほどでないくらい平凡である、という秘密)を書く。(これはリンコさんかな)といったものです。

 ついでに、これが噂の犬坊里美だ! のモンタージュ写真、ボディ・サイズ推察。表紙はサイバーに、「原書房刊の御手洗攻略本」を、SSKのヒット、「おえかき しょー」ふうにパロる。紙質はワラバン紙紙一重の極粗悪紙、劣悪ノベルス装丁、定価500円。なかなか面白いんじゃないでしょうか。

 ところで優木麦氏の「金網に揺れるブルマー」という原稿は、渡しましたっけ。ではまた。ゆっくりやすんでください。

島田荘司。


桶狭間について。T橋さん宛て

2000年12月2日

高橋さん、
 ちょっと日本学についてです。
 真珠湾作戦は迂回奇襲でしたが、この作戦が目を見張る大成功を収めたということがあり、以降日本軍は、迂回奇襲が馬鹿のひとつ憶えになっていきます。この発想の根底には、2万5千の今川義元軍を相手の、5千の信長軍の迂回奇襲作戦が大成功をおさめたという史実がありました。そういう武人信長への強烈な憧れがあったわけです。
 ところが最近の研究で、この時信長はまったく迂回していない、谷あいを突っ切って最短距離を行き、しかも谷あいにいる今川義元を山の上から逆落としに奇襲したのではなく、義元軍の方が有利な山の上にいた。この山が桶狭間山という名なので、この名前から今川軍が谷あいにいたように間違えられていた。わが近代戦は、まったくの幻想、そそっかしい思い込みの上に成り立っていたというわけです。
 おまけに、信長のものこそは、間諜を駆使した徹底的なアメリカ型情報収集戦略であったことが解ってきました。信長の時代から、大群の迂回はすぐ敵にばれると、すでに解っていたわけです。
 小和田哲男さんという静岡大学の教授が、戦国史を専門に研究していて、このような研究書を出しているようです。この人の桶狭間の研究論文、手に入るなら読みたいものです。
 迂回奇襲は、太平洋戦争中二百数十作戦が行われ、すべて失敗したといわれています。太平洋戦争以前の戦争も含めてもよいですが、このような史実を論じた書物は、原書房の出版物にはないでしょうか。それから信長研究では、後世家臣が現した「信長公記」が第一級のものとされているようですが、これは活字出版されているものでしょうか。
 まあこのようなこと、一応お伝えしておきます。ではまた。

島田荘司。



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