響堂新さんへ

2001年10月2日、響堂新さん宛て。

「神の手」について

響堂さん、
 東京では楽しかったです。滞在期間の後半は、鮎川賞のパーティに、横浜のオフ会にと、連日追われっぱなしで、とうとう作品の直しに関してのメイルができませんでした。LAに戻ってきて、やっと今一段落していますので、下に書きます。しかし今度はこちらの旧回線の調子が悪く、もっかメイルが不通なのですが、まあいずれ回復するでしょうから書いておきます。
 飛行機は、テロの影響は何もありませんでした。成田で、カバンを開けての手荷物チェックの回数が、登機直前に1回増えていたこと、LAXに一般車両が全面乗り入れ禁止になっていたことくらいです。乗降客は、みんなタクシーかシャトル・バスに乗らなくてはなりません。

 「21世紀本格」、松尾詩朗さんが、まったく別の作品を引っさげて戻ってきました。これはよい作品です。牛やのしゃぶしゃぶも、無駄にはなりませんでした。おかげでこのアンソロジーは、なかなかよいものになると思っています。
 さて、響堂さんの「クローンの叛乱」ですが、大変面白く読みました。非常に良くなり、傑作の領域に入ったと思います。しかしここまで来ると、この作品をさらに磨いて、のちに遺るものにしたいという欲も、私に出てきました。以下、現状でも充分良いものですが、こうすればさらに磨けて、歴史レヴェルのものになるのでは、と考える私の改善意見です。検討してみてください。
 この作品の内包する思想を、突き詰めて考えてみると、天才的技術を持ち、神を気取る沢渡の傍若無人な問題提起、そしてこれに対するヒトの健全な分別の対決、といったあたりになるのではないでしょうか。事実21世紀初頭の医学界は、そういう状況でしょう。とすればこの作のタイトルは、たびたび文中に現れているあの言葉、「神の手」に象徴されるように思います。
 父に葬った冷酷な世間に報復することを心のどこかに意識した、そしてこの怨念ゆえに神となってやることもいとわない怒りのエネルギーを得た鬼才、そういう男のドラマです(むろん口では、そうではないと彼は嘘をつきますが)。そしてこれに挑むロイズマンが、ヒトの分別と、同時にその弱さや迷いを代表します。
 卵巣のクローンは確かに叛乱しますが、そうさせたものは、怒りで神を演じることをも決意した、一人の悪魔的天才の手です。やはりこの作品は、「神の手」とタイトルされ、問題提起されるべきと思います。
 第1章。
 2ページ、冒頭のここに、いきなり卵巣のクローンが現れます。この手法はいいですね。問題は、臓器が卵巣でいいのか、それとも別の臓器がいいのかです。
 この部分は、結部のいわば「どんでん返し」のための伏線です。ここは大胆な伏線という解釈で、現状でいいのではないかとも考え、大いに悩みましたが、やはりこれはよくないと結論します。伏線としては、舞台がクローン臓器を作成している場所、といったあたりまでの情報開示で充分であり、卵巣のクローンが姿を現すのは、結部のただ一度だけという方が、小説として効果的、劇的と考えます。
 ここでは心臓のクローンあたり(別の臓器でもいいですが)を見せておくべきと思います。ただし映像的効果を考えるならば、動く臓器の方がよいかとは思います。物語をただ追って読むだけの人には、では不妊で悩むデボラのため、クローンで卵巣も作れるではないか、というアイデアには、つい思いがいたりません。だから、ラストのどんでんの劇的な効果も出るわけです。
 以下、少し細かいことも並べてみます。4ページ、4行目、「自分の判断に何故か妙な自信があった」、までの表現は、あまり適切ではないと感じます。ここはロイズマンは、ただそう思ったという程度でしょう。
 同じページ、これは確認ですが、イスラエルは、全面的にメートル法が使用されているのでしょうか? 確かにインチのアメリカでも、子宮孔のような小さな場所は、センチの表示になります。その方が合理的だからですね。もしもこの国もそういった事情なら、そのような説明を加えておいてはどうでしょうか。
 9ページ、17行目と18行目。「ゴリラ以外に犯人は考えられないのですか?」の件りの2行は、取ってもよいと感じます。ここでロイズマンにこれを言わせてしまうと、のちの驚きに多少ブレーキがかかります。内心ではこう疑っていても、読者へのサーヴィスとして、ここは彼女にちょっと黙っていてもらいたいです。
 14ページ、28行目、「かえって自信の深さを強く印象づけた」、の「かえって」は要らないと思います。次に「強く」も要らないと思います。
 17ページ、8行目からの3行、「デボラを神の手に委ねる前に」うんぬん、これも要らないと思います。これも結部のどんでんの効果を薄める性格のものですね。以前にデボラが、沢渡に頼るというアイデアを、母親に話していましたっけ? もしそういう箇所があったなら、これも削った方がいいと思います。
 ただしその代わりに、抽象的な思いとしての子供切望(具体的に自分の体のこと、特に卵巣を出すのはまずいです)、続く母娘間の涙の激論などがあったりすると、これは結部のどんでんを補強する、非常に効果的なものになると思います。この口論は是非加えて欲しいですね。ただし挿入の場所はここではなく、、第4章の1ページ目あたりでしょうか。
 第2章。
 1ページ、豚の脳を持つ少年カールですね。この子は確実にダイパー、つまりおしめが取れないでしょう。多分生涯取れないでしょう。これははっきりそう言った方がよいと思います。しかしそれを述べる場所は、もっと後方でもむろんいいです。
 4ページ、1行目の「握りこぶし大の心臓」は、冒頭で提示するクローン臓器を心臓とするなら、ここは再び眺めるというシーンですね。これはそのようでいいと思います。そうするならば、「2度目だが、何度見ても……」、といった類の表現にしておく必要がありますね。
 21行目の「卵巣の場合」、の説明は、ここにはない方がいいでしょう。卵巣は、最後の最後にいきなり現れるのがいいです。
 15ページ、15行目、「ただし説明はいっさいしませんし、質問も受け付けません。それでよろしいですね」の沢渡のセリフは、ちょっと少年っぽいですね。悪魔の天才ならもっと精神に余裕があり、ここはもっともらしいおとなの論理を思いついて、口にするのではないでしょうか。これでは、ただの買い言葉の意地悪に聞こえます。「投資家保護上の企業秘密が多く含まれますから」とかなんとか、もっともらしいことを言わせてはどうでしょう。
 第4章。
 18ページ、8行目、「黙って聞き流すのか?」という表現は少し引っかかりますね。「間に受けるのか?」とでもしておかないと、名誉毀損でこの女を逮捕しろ、というところまで踏み込んだ要求にも受け取れます。
 31行目、ここは前の「馬鹿なこと」を受けて、「馬鹿なことをしたのは沢渡さん、あなたなのですよ」、と切り返した方が、格好いいセリフのように感じます。
 さて、一番大きな要請があるのは結部の20ページですね。私の考えのモーションを先に述べると、こうです。ラストのどんでん返しを生かすためには、最後の最後までロイズマンは迷わず、道徳で突っ張りつづける、沢渡を糾弾しつづけるのがいいというものです。沢渡の罪を、これまでの人間世界の常識から確信し、刑事告訴を決意し、何があろうと断固やり抜く、そういう宣言を高らかにさせ、この意志を最後まで維持させるわけです。ところが卵巣のクローンを眼前に付きつけられると、すべてが完膚なきまでにひっくり返る、という構造ですね。そうした方が、小説の問題提起もずっとショッキングなものとして打ち出せます。
 するとこのためには、ロイズマンはここではかたくなな道徳の権化と化し、まったく迷わせない方がいいでしょう。どんなに難関があろうとも、絶対にやり抜くという思いでいさせるのがよいです。彼女の固い固い決意を突き崩せるものは、司法解釈上の難関でも、証拠の不在でもなく、自分の娘への思い、これがただひとつだけです。そういう骨組みですね。
 そう考えると、11行目からの5行、これはない方がいいですね。ここでの彼女は、迷うのではなく、ただ決意を述べさせるべきです。たとえば、「どんなにむずかしくても、私はやり遂げなくてはならない。神を気取るこの奢った悪魔を、地に這いつくばらせなくてはならない。すべての人間の未来のために」、といったあたりでしょう。
 19行目からのロイズマンのセリフの最後、22行目。「彼は私の質問にもちゃんと答えてくれるでしょう」の後に、「私はあなたを訴えます。刑事責任を問います」とやる。
  「それが正義と、君は確信しているんだね?」と沢渡はロイズマンに確認してもいいでしょう。そして沢渡は、あまり取り乱しはせず、「彼はまだ八歳の子供なんですよ」と言う。アタマの「待ってくれ」も取る。次の2行、「改めてお伺いします」から「沢渡が呼びとめた」までも、すべて取るのがいいです。
 そして「君たちは小学生を裁くつもりなのか?」、の後に続く5行も取る。ヒステリックな正義糾弾の決意をした女は、この程度の反撃ではひるまないでしょう。というより、沢渡の言うことなどろくに聞かないと思います。自分が言い負けると思ったら、女は相手の言うことなど聞きません。ただ悪魔をやっつけるという思いで、彼女の脳は凝り固まってしまっているでしょうから。沢渡の言を受けた彼女のここでの精一杯のセリフは、「私が裁きたいのはあなたです」、ではないでしょうか。
 すると沢渡はこう言うでしょう。激さず、ごく冷静に、「あなたに見せたいものがある。ちょっと待ってください」。そして彼は姿は消さず、壁の館内電話をとり、「フラスコ・ナンバー**を、急いでここに持ってきてくれないか」と言う。
 そして2人は睨み合い、しばらく無言で立っている。そこに、フラスコに入ったデボラのクローン卵巣が届くわけです。
 沢渡は、ここではじめてデボラに言う。また読者も、卵巣のクローンを見るのはここが完全にはじめてでなくてはなりません。
 「あなたのお嬢さんの卵巣です」
 絶句するロイズマン、驚いて見開いた彼女の目に向かい、沢渡はこう続ける。
 「あなたのお嬢さんに頼まれて作ったものです。これでお嬢さんは、母親になれる」
 雷に打たれたようになって、ロイズマンはその場に立ち尽くした。
 以下は現状の通りでいいでしょう。沢渡の説明もそのままでいいでしょう。ただしデボラは、もう何も言葉は発しない方がいいと思います。彼女は完璧に、悪魔に負けたのです。ただ沢渡だけが静かに話し、デボラに関しては、その間に表情の描写が短く入るのみ、というのが劇的です。彼女の完全な敗北の表現ですね。
 21ページ、お終いから5行目、「話の途中ですが、ちょうどお昼なので」というのは、英語のセリフと考えると、今ひとつ格好よくないですね。「では失礼して、私は食事をしてきます。ちょうどお昼なのでね、お話の続きはその後で」
 そして彼はくると身を翻し、ジョゼフを連れて部屋を出ていった。
とやるのが格好いいでしょう。
 後はよいと思います。これで「神の手」は、とんでもなく格好いい短編になりますよ。
 ちょっと仔細に検討してみてください。どうぞよろしくお願いします。

島田荘司。


2001年10月7日、響堂さん宛て、「神の手」についての議論。

響堂さん、
 メイルいただきました。ありがとうございます。おっしゃることは、大筋で理解したつもりです。しかし作中のディテイルまで頭に入っている自信はありませんので、細かい場所まで正確に対応はできないかもしれませんが。
 まず最初に申し上げなくてはならないことは、これはあくまで響堂さんの作品ですから、私への配慮というのは無用にお願いします。最終的な判断として、やっぱり卵巣を最初に出すことにしましたと響堂さんに言われても、私はそれでは切れ味が落ちると思うので、ちょっと残念ではありますが、ああそうですかと笑って言います。それでもこれは充分によい作品ですから。当然ながら、以降の私と響堂さんとの付き合いがぎくしゃくするというようなことはいっさいありませんので、この点のご心配はないようにお願いします。
 ですから、もちろん響堂さんの信じるようにしてください。しかし私はこれまでの経験から、自分の判断に多少の自信があります。これは長編ではないので、しかもテーマからいって、ラストの切れ味を作る方が、作品の出来が上がると確信しますので。そこで、これは再度のお願いということではなく、始めた以上最後までやるという意味で、自身の考えを述べてみます。ですので、以下はあまり気にしないで、一応読んでみてください。
 まず響堂さんのおっしゃることはよく解りますが、そのように突き詰め、徹底すると、この作品自体、現状のようには成立しなくならないでしょうか。全体をすっかり変える必要があると思います。
 何故なら、生殖研究所なら、ロイズマンは沢渡の研究室に入ってきた段階で、もう娘デボラの不妊治療についてしっかりと突き詰めて考え、結論してきており、沢渡に頼るか頼らないか、完全に決めてからくると思うからです。沢渡と開口一番、いきなり妊娠の議論になると予想するのなら、母親ロイズマンの頭に浮かぶのは、当然妊娠できない娘のことでしょう。
 というより、娘の不妊から、沢渡の研究所を思いついたのかもしれません。とすれば、最初にクローン卵巣ありきです。ここが生殖研究所であれば、不妊に悩む娘を持つ母親がこれから生殖研究所に行こうというのに、自分の娘の妊娠治療にこの研究所の機能を重ねて考えないはずはないです。
 沢渡に頼ると決めていれば、彼の機嫌を損ねてはまずいから、今更クローンの根本論議などはしないだろうし、クローン臓器を見ても、素朴な動揺や感慨はないのではないでしょうか。
 娘にはクローン技術にいっさい関わらせないというのであれば゜、母娘の議論はもっと違った乾いたものとなり、というより多分この小説の時点ではもう完全に決裂しており、この研究所に絶対に娘を近づけないと決めて、見張りの探偵でも付けているのではないでしょうか。
 しかしそういうことなら、卵巣を冒頭に見てもいいと思います。眺めながらロイズマンに、娘には絶対にこんなもの作らせるものかと思わせるわけです。また続いて、妊娠や不妊治療の議論も、さんざんに行われてかまわないと思います。
 最後に沢渡に卵巣を見せられた時も、驚きの意味あいが違ってきますね。これは、ああやっぱりこれをやったのか、そして見張りの探偵は何をしていたのか、というようなことでしょう。彼女としてはもうとうに考えていたことですから別に驚かず、自分は一瞥もしないで廊下に出ていくだけではないでしょうか。しかしそれでもこれは、それなりにショックのラストはもたらすでしょう。
 でも全然予想していないで卵巣を見せられる方が、小説の切れ味は出ると思います。現状の「神の手」は、ロイズマン自身、卵巣のクローンという解決法を前段で見落としているからこそ、生じているドラマではないかと思います。
 おっしゃるように、この種の研究では、不妊治療が最も需要が多いのでしょうが、そういうリアルな場所に、キメラまでが複数現れてくるということは、現実にはないのではないでしょうか。
 ここはやはりリアリティはある程度犠牲にして、神の手が作った悪魔的な研究所であり、キメラが主、不妊治療は来訪者が忘れるくらいの従、という構造を持たせるのがよいとは思うのです。
 つまりこの小説は、あくまでもキメラでもって読者の目を幻惑し続け、さらに殺人事件でもって翻弄し、基本的な卵巣クローンには思いをいたらせないようにしておいて、最後の最後であっと驚かせる、という切れ味構造を持たせるべき作品と、私は判断しています。
 「キメラ」と「殺人」という強烈なアトラクションがあれば、どんな本格のつわものも、ついそっちに気を取られてしまうと思います。だから、どんなにきわどいことをしてもよいと思っています。
 つまり、小説はこのままほとんど変えなくていいと思っています。生殖研究所の看板はかけ替えた方が安全かと思いますが、これも面倒ならそのままでもいいと思います。男性妊娠の話もそのままでいいと思います。むしろ、響堂さんの言われるように事態をリアルに徹底追求してしまうと、キメラも浮いてしまうし、全面書き直しになってしまう危険があるように思います。
 まあいっそそれをやるという手もありますが。母娘にはもう前もって決裂させておき、母親は沢渡には近寄せないように徹底して手を打っており、といったような構造ですね。だってここは生殖研究所なんですからね。ロイズマンほどの頭があれば、娘と研究所を当然結び付けます。研究所に来てからは、もういっさいバタバタはしないと思います。
 響堂さんの言われる、卵巣のクローンを見せられてのちも沢渡を糾弾するか否か、またクローンなら、神の手の沢渡でなくても作れるから、デボラと一緒によその医者のところに行けばいい、というのはまったくその通りですが、これは冒頭に卵巣を見せる見せないとは別の議論ですね? 最初に卵巣をロイズマンと読者に見せておいても、上記の問題は変わらず起こります。
 これは、男性の妊娠の話など削るのはしのびないということに力点がかかった話と思います。これは削らなくてよいと私は思います。
 これらは、比較的理由付けは簡単ではないでしょうか。沢渡が作ってくれたクローンの卵巣が、妊娠の最後のチャンスとなる理由は、これはデボラ自身の子宮を使うならですが、彼女に重症の子宮内膜症が進行中としてもいいし、年齢的なものにしてもいいと思います。
 ただ不妊治療、妊娠の問題に関しての大々的な議論は、これは隠しておく方が安全と思いますが。これをやれば、すぐにデボラのことが連想されて、ここでデボラの不妊に触れないなら、なんだかロイズマンが無能に見えてしまいます。
 でも小説中に、沢渡とのそういう話はそう多くなかったように記憶しています。イスラエルのここが、生殖研究所であった記憶もちょっとないのですが、これは読み落としているのでしょう。もう一回読み返してみます。
 これは響堂さんのメイルを見ずに書いているので、問題点を網羅しきれているかどうか自信がないのですが、これで出して、またメイルを読んでみます。疑問あればまたメイルください。その方が、またこちらの頭の整理ができます。
 まあ全面書き直しというオプションでもいいですよ。短編ですからね、それほどとんでもない作業でもないでしょう。
 では、よろしくお願いします。

島田荘司。


2001年10月9日、響堂さん宛て「神の手」の議論

響堂さん、
 メイルいただきました。ありがとうございました。
 そうですね、前書き落としましたが、私も最初に不妊治療ありきなら、別のラストがあるのではと、前便の段階で思っていました。これが思いつけるといいんですが。 ロイズマンは、心が揺れ動いたままで研究所に行き、沢渡と議論になって、これによって徐々に、意地も手伝って、クローン卵巣による治療は、はっきり否定する立場に傾斜して行った、そうですね、あり得るかもしれませんね。
 研究所の門を潜った時点では、彼女はデボラに、卵巣のクローンを作っての治療を受けさせてもいいかな、くらいには思っていたということでしょうか。それが、キメラなどを見るにつれて、否定的な気分になっていった。そうですね、ロイズマンの専門領域にもよりますが、あり得るでしょうかね。
 妊娠のラスト・チャンスの問題ですが、これは必要とあれば、設定し得るのではないですか? デボラが不治の難病を患っている、あと数年の命、という状態は、いくらもあり得るのではないでしょうか。たとえば遺伝子レヴェルで、数年後に若年性のアルツハイマーの発病が解っているとか、HIV、白血病、私はすぐには思いつけませんが、医療技術を潜りぬけたさまざまな未来の難病、いろいろとあり得るのではないでしょうか。それで死ぬ前にわが子の顔をひと目見たいという悲願を持っているとか。
 また、よくは解りませんが、年齢的なハードルも、やはりあり得ませんかね。妊娠は、大変な重労働ですよね。もちろんCセクションでしょうけれども、母親はこれを支えて立ち、歩くわけですから。骨粗しょう症寄りの年齢になる、体力的に衰える、などからすると、やはりせいぜい50くらいまでが現実的、と言うことはないのでしょうか。たとえ車椅子を使ってもですね。
 それから子宮は、ほかとは違って、ゴム風船のように膨らむ臓器ですよね。他とのコネクト部分がはずれないためには、移植後、1年2年は他となじませないといけないですよね。このなじみの速度もあるでしょうし、時間もあるでしょうから、これが何年もかかると設定してしまえば、40才でもラスト・チャンスと、当人が信じることはあり得ないんでしょうか。まあこのあたりは私にはよく解りませんが。
 まあともかく、もう少し考えてみます。でもあまり考えすぎて、小説の切れ味は、消さないようにしなくてはなりませんね。

島田荘司。

 

戻る