響堂新さんへ

2001年4月19日のMail。

響堂新様。
 メイルいただいています。ありがとうございました。ご返事遅くなりまして、申し訳ありません。新宿では楽しい時を過ごさせていただきました。いきなり勉強会のようになりまして恐縮でしたが、みなさんきっとよい勉強になり、刺激にもなったことと思います。ありがとうございました。またこのような機会もってあげれば、多くの作家たちに、大変に有意義ではないかと思います。

 先日は鮎川賞の選考会を鎌倉で持ち、鮎川哲也先生にお会いしてきました。ご高齢ですが、依然お元気そうで、安心しました。今年は建築の専門家が本賞を受賞することになって、また文壇に対して有意義ではないかと思っています。

 鎌倉へ向かう道々、ポーの「モルグ街の殺人」を読み返していました。あれがもし候補作であったならと思うと、現在の考え方からは、ずいぶん難癖がつけられそうで、面白かったです。あの証拠の状況なら、動物が関わっていることは、まず誰にでも見当がつくと思います。さらに、オランウータンにあれほどの強暴性は期待薄ということもありますが、そのほかに、たとえば被害者の首筋に、指圧の痕跡と、爪による傷跡があり、これが紙に描き写されているのですが、これに手を添えてみると届かない、だから人間の手によるものではない、これも簡単に解ることです。そしてこの紙を円筒状に丸めて同じことをしてみると、さらに指が届かなくなる、という記述がありますが、これは誤りで、丸めたらより届きやすくなると思います。ともかくこれでは、パリ警察はあまりにボンクラですね。

 本格ミステリーの輝ける出発点というものは、現状から見ればこんな杜撰なものなのかなと思いました。ホームズの「這う人」がよくからかいの対象になって、これは猿の精液を飲んで若返った人が、ついでに猿そっくりに這うようになってしまうという、できの悪いSFのような話なのですが、原点の「モルグ街」もまた、「這う人」とそんなに違わないレヴェルかなと思わせました。

 響堂さんがおっしゃることは、その通り正論であると思います。私もそのような想像を「眩暈」の中でしていて、これが専門家の言によって確かめられたなと嬉しく思いました。ただ本格の流れには2種があって、ホームズとかデュパンは、やっぱりひらめき型に属しているのかなという印象は持っています。しかし中堅の作家たちの本格や、警察小説の歴史は、響堂さんが言われるようなことであろうと思います。そしてまた、私の印象では、科学者がこういうものが科学的な態度であると宣伝したいような種類の努力をする主人公を描く小説の方が、書きがいがあり、むずかしくもあり、しかも楽しいような気がしますね。読者には、ひょっとすると退屈なのかもしれませんが。

 響堂さんには、専門家として、是非そのような本格的な科学的態度の小説をものにしていただき、後進に示して欲しいものと思います。そのような作品なら、きっと世の中に残ると思いますしね。長編でも、是非お願いしたいところですね。感心したら、私もまたエッセー等により、世に残すお手伝いをしたいと思っています。

 秋にはまた戻っている予定です。その頃またお会いできればと思っています。それまでは、メイルでのやり取りなどができればと思っています。24日からはもうアメリカです。また何かありましたら、メイルなどください。

 それではお体に気をつけて、創作にお励みください。

島田荘司。




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