志乃さんへ

2001年10月2日、志乃さん宛て

志乃さん、
 今ハニーの店から帰ってきたところです。店は何ごともなく、アラビックの風貌のハニーも、911以降これまで、危ない目に遭うこともなかったようです。ただ店は、来客が2割減のようですね。しかし、嫌がらせ等のないのが何よりです。
 街は、星条旗の小旗を窓から出して走っている車が目立ちます。LAXは、一般車両全面乗り入れ禁止でした。これがLAの現状ですね。
 ハニーは、NYテロはMUSAADとアメリカの自作自演だと、真面目な顔で言っています。MUSSADというのは、イスラエルのCIAですね。まさかそれはないと思いますが、エジプトのCIAにいた男の感想です。
 これからの戦争は、長くなるかもしれませんね。報復がよい選択とは、私には思われません。この先にある胡散臭いものが、予感されてなりません。
 このところ、あまりよいことがありませんね。古今亭志ん朝さんが亡くなられたとのこと、聞きました。志乃さんのおじさんにあたられる方ですね。以前は落語、大好きだったのですが、ここしばらくは離れてしまい、あまり詳しくはありませんが、古典落語を1人で背負っておられた人であることは知っています。惜しい方を亡くしたものと思います。志乃さんもお力をお落としと思います。どうか、早く明るくなられますように、願っております。
 私もこちらに戻ってきて、一段落しています。これから腰を据え、ばりばりやる所存でいます。あと1月で、また東京に戻ります。そのおりにまたお会いできれば幸せです。中尾さんにもよろしくお伝えください。取り急ぎ、メイルいたしました。

島田荘司。



2001年10月4日、志乃さん宛て、江戸と落語について

志乃さん、
 志ん朝師匠、感動的なお話ですね。メイルだけでうかがうのはもったいないような話です。どこかにお書きになって、大勢に読ませてあげたい思いがしました。
 名を成した人、一芸に秀でた人は、それがたとえ市井の人であろうとも、独自の理論、到達した、拝聴すべき人生観を持っているものです。まして師匠となると、多くのことがあるでしょうね。
 新宿夜来町から浅草まで毎日歩かれていたというお話には、考えるところがありました。昔池波正太郎さんという作家も、江戸の頃に出された切り絵図を常に持っていて、これを見ながらよく歩いていたそうです。江戸は、歩かないと解りませんね。実感できません。そして歩くと、東京という街は意外に狭いんですね。そして道は、実は切り絵図の頃のままなんです。こういうところ、日本人は非常に保守的です。
 私も以前神田川に沿って延々と歩いたり、山谷堀に沿って歩いて新吉原に行ってみたりしました。オートバイならまあまあいいのですが、車や電車では江戸は解りません。自分の足で歩くと、沿道の植木蜂とか、夕餉の支度の匂いとか、江戸の香りはあちこちで感じられます。東京下町は、生活態度もそう変わってはいませんね。師匠も歩くことで、きっと江戸を感じておられたのでしょう。
 幕末の頃は、江戸中のいたるところ、寺の境内とか神社の中にまで何百と小屋があって、蝋燭の明りひとつで、多くの噺家が高座を持っていたそうですね。禁止令の反動で、落語の絢爛たる文化が、幕末にはいっきに花開いたようです。江戸の庶民は、長い道のりを歩いて、ひいきの噺家の声を聞きに通ったのでしょう。
 こういう伝統を引く師匠が逝ったことで、ひとつの時代がいよいよ終ったことを実感させられます。よい後継者が育っていることを祈ります。
 ではまたメイルします。どうぞお元気で。

島田荘司。



2001年11月16日、志乃さん、

 大変にご無沙汰してしまい、申し訳ありません。お元気でしょうか。現在東京に戻ってきています。私の方は元気で、今のところ風邪もひいていません。帰国して以来、光文社のA井さんに引きまわされて、ほとんどドサ廻りのような毎日です(笑)。名古屋から戻ってきたら、昨日も1日、分刻みのスケジュールでした。
 原書房T橋さんの病院にも見舞いに行ったのですが、ちょうど珍しく平日に外泊許可が出たらしく、秋葉原三井病院に行ったらもぬけのカラのすれ違いでした。成瀬社長もわれわれに合わせて見舞いにきていたのですが、しきりに謝っていましたね。まったく入院しても忙しい人です。

 忙しさの理由のひとつは、光文社の「21世紀本格」アンソロジーの仕事なのですが、これは表紙の装丁にも関わっているので(もともとがtenさんの絵だものですからね)、そうしているうちに、カッパノベルス全体の表紙の新フォーマットにも関わるようになってきて、なかなか大変になってきました。しかしそれだけに、意味が深い仕事です。
 カッパは今、脱皮に大変に苦しんでいて、新しい姿が誰にも解りません。しかしいずれにしても、よい作品、時代を牽引する作品の発見ということがすべてなのですけれどもね。今カッパは、こういう才能の獲得がうまく行っていません。その意味でも今回のアンソロジーは、カッパの再生につながらないかと期待しているのですが。30年前のカッパは、カッパでしか読めない作家のラインアップがありました。今こういうものがあるのは、むしろ講談社ですね。
 吉敷シリーズ文庫のカヴァーも、すべてやり替えました。この件でも、連日打ち合わせでしたね。しかしとてもよいものができましたよ。これまでとがらりと意匠が異なって、女性にもきっとうける、美しいものです。「涙流れるままに」のものだけは持っていますが、いつかお見せしたいものですね。

 007さん、会うたびに志乃さんと湯島のエストに行きたいようなこと、つぶやいています。もしも時間ある日時ありましたら、是非教えてください。私は12月3日にアメリカに戻る予定にしています。南雲さんも行きたいみたいです。
 24日夜に、吉祥寺でまたオフる予定です。tenしゃちょーが上京するからです。どめっちも来る予定です。

 それで、もうひとつイヴェントの予定があるのですが、昨日穴井さん、大島さんと会いました。穴井さんいわく、「島田荘司作家生活20周年記念」と称して、「龍臥亭の夕べ3」をやりたいと言ってくれており、もっか忙しい仕事のあいまをぬい、鋭意計画進行してくれています。
 夕べ会場を下見に行ってきました。恵比寿の「ピカソ」というお店で、上品な、とてもインテリアのセンスのよいお店でした。作家生活20周年というのはまったくの言い訳で、全然そんな大袈裟なものではありません。最大43人しか入れず、ちょっと小さいのですが、まあ親しく話すにはこのくらいがいいのかな、という感じです。毎回時期が迫ってからあたふた会場を探すので、毎度広いところが見つからないんです。
 それで、穴井さんと話したのですが、もちろんご招待ワクで、会費のご心配などはありませんが、スペシャル・ゲストで志乃さんにもまたいらしていただいたら、大変嬉しいなぁという話になりました。もしも短時間でも、中尾さんにもお顔を見せていただけたなら、みんなに「灰の迷宮」の企画についてもご紹介もできるし、素晴らしいです。大変光栄なのですが、お忙しいと思いますので、志乃さんお一人でももちろん結構です。ご無理は承知で申し上げているので、お時間なかったら、もちろん結構です。
 金田さんは、どうやら今京都の舞台の仕事のようです。その頃は京都滞在で、出席は無理と思います。まあもう一度連絡してはみますが。
 編集者が20人くらいになってしまいますので、SSKもせいぜい20人、するといつもの顔見知りばかりで埋まってしまい、BBSで募集をかけるというところまではできません。来年もしまたやるのなら、100人の会場を探して、サイトで募集をかけようかとも言っています。
 そんなことですので、ちょっと考えてみていただければ嬉しいです。後日、また穴井さんもメイル入れてくれると思います。もしあきらかに無理でしたら、穴井さんを止めますので、おっしゃっていただけたらと思います。今日もこれから穴井さん、秋元さんに会います。まったく連日の逢瀬で、世間の夫婦もこんなに会っているのだろうかと思います(笑)。ではまたメイルいたします。お元気で。中尾さんにもよろしくお伝えください。

島田荘司。

 

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