2002年2月21日、houmeiさん宛
houmeiさん、
昨日は1日追われていまして、メイル書けませんでした。失礼しました。論文のテーマが決まりましたら、タイトルなど教えてください。
回答をありがとうございました。これらについて、私の考えも述べてみます。
まず定年ですが、私はこれはもう必要ないと思っています。これもこれまでと同じなのですが、一見あなたと結論が違いますが、結局似たことを言うことになります。定年というのは、日本型の、60才で全員をいっせいに追い出すという仕組みの定年制度のことです。
定年とは要するに、年功序列で、年齢が上がると、労働の割に給料が高くなりすぎているから、これを下げられないなら、もう出てもらわないと企業としては金がかかりすぎるということでしょう。年俸を低く(合目的にして)抑えられるなら、企業としてまだ是非欲しい人材は、この年齢層にも多くいるはずです。江戸時代には、90才でお城勤めしている人材はたくさんいました。逆に、50歳でもう要らないと判断できる人もいます。こういうあたりをうまく整えられるなら、企業は競争戦力の整備ができます。スポーツのチームと同じです。
私は終身雇用制度も、年功序列制も要らないと思います。これらはワンセットで、1つを取り出して語ることができません。日本の今後の国際競争力という点から理想を言えば、これらすべてはもう時代に合わないのみならず、日本が21世紀の国際競争の第一線で頑張ることを想定すれば(それをしないならよいのですが)、すべて不利に働く要素です。
これらは、貧しい1950年代、労働争議が吹き荒れた時代に、企業内労働組合とともに、企業と組合との妥協の産物として日本に生まれた三本柱です。貧しさや、日本型儒教や、日本語や、すべての要求が総合的に合わさった産物です。かつてのキャッチアップの時代には功を奏して、これは高度経済成長時代の良いシステムとなり得ましたが、これからの自由国際競争の時代には合致しません(実現できると言っているのではありませんよ。思考実験です)。会社にとって必要な人材は、80才まで会社にいてくれていいと思います。81才時、まだ必要と会社が考えるなら、年俸契約をさらに更新すればいいと思います。
しかしこれは単純な実力主義というのともちょっと違います。会社の職種に照らしての力です。物差しは無限にあります。日本の教育現場のような1本ではありません。またこれは、23才くらいの時期ではまだ解りません。
ただしここで年金の問題が出ます。現在の年金の制度は、こんな時代の到来を想定していませんから、転職すれば不利になる仕組みとなっています。「石の上にも三年」が美徳の国ですから。税制と合わせ、これらはいじる必要がでるでしょうが、そもそも年金という制度が今後もうまく機能するかどうか、疑問です。年金を自分で運用するという制度が、日本でも始まっていますね。日本人の感受性ではこれはなかなかむずかしいでしょうが。
現在の減点法的な発想は、あなたも言う通り、後ろ向きで駄目ですね。ポジティヴに加算方式の、ポイント制に近いものにして、多くのポイントを持つ者が高価な人材というかたちで、目安にしていいと思います。たとえば、非常に価値のある薬品の発明開発に携わった人材にはポイントを与える。これを直接管理した、上役だがアイデアは出していないというような人物には、儒教発想は無視してポイントは与えない、というようなことです。
もうひとつ、販売の方向で、たとえばセルラーフォン、これは日本製の方が遥かに優秀なのに、ウェストコーストは今韓国製が席捲しています。ここにビジネス・チャンスがあります。遥かに魅力のある日本製セルラーをこの地に売り込み、インフラを整備し、会社に100億の金を引っ張ってくるから、自分に年俸2億をくれというようなアメリカ人の人材と複数契約していきます。むろんこの時に、日本人上役に力や魅力がないなら、成功報酬契約を蹴られ、どんどん詐欺に引っかかるでしょうが。
国際市場でヒットする製品とは、要するにそうするための細部の発明や、支える無数のアイデアの集積です。これを続けたメーカーが、続けられないメーカーを下請けにしていきます。この構造は、今後どんどん進行するでしょう。したがって、こういうアイデアを絞り出せる人材には高い報酬で報います。外国からの引きぬきに対抗するということもあるし、こういうつばぜり合いに勝利を続け、部品を下請けに出す側にとどまるための戦略です。先に述べた方法を取らないと、この雇用のための資金を企業が準備できません。あるいはできても人材確保のワクが狭くなり、競争力整備が不充分となります。
デフレに関してですが、あなたの考えにも一定量賛成しますが、2、3割を占めるらしい今の不況のための自殺というのは、要するにこれだと思うのです。ただの失業では人は死にません。今マンションなどの資産価値は1/4に下落しています。30年ローンなどある人は、理不尽に降って湧いた膨大な借財の、ただ返済をしているだけです。昔のように、それならとマンションを売ってもチャラにはできず、これでも莫大な借金が残ります。
しかし職があればこれもただ気分が悪いだけですが、この状態で職を失えば、そしして再就職がかなわなければ、もう死ぬほかはないですね。 一方、何億というタンス預金をしていた人は、同じ金でマンションが4つ買えますから、これを貸して左団扇となります。こういう不公平はありますね。
そして今のデフレは豊かな不況と言われます。みんな海外旅行に行ったり、ブランド品購入に行列したりするが、将来の不安から金を使わない。つまりこれは、まだ値が下ると感じて、下げ止まるのを待っている状態でしょう。だからこれはここが終点と、場所を示してあげれぱ、金はたぶんどっと廻り始めるでしょう。そのための方法に何があるかです。
構造改革ですが、これは信用の回復ということ、それはむろん確かですが、私は要するに官の無駄使いをやめさせようということだと思います。今の状態を家の財政にたとえると、家計がまずくなってきて、このままだとヘタすると一家心中だぞという状態、ではどうするか。方法はそんなにたくさんはないです。一家の収入を増す。財布のヒモを締める。そして家の外でいい顔をしたがり、無駄な金を使っている親父の行動を細部までチェックして、これをやめさせると、こんなところでしょう。日本経済の規模は500兆円、累積赤字が666兆円、国の予算規模が85兆円、返済が無理な額ではないでしょう。
しかし、オヤジの無駄使いをやめさせるという考えは、これは緊縮財政の方向で、これを徹底する必要は当然ありますが、これを完成しても、家計のピンチの決定打とはなりませんね。それどころか、これは出費抑制ですから、ますますデフレ圧力を増します。要するに、家への収益を増すという方向でないと家族はハッピーにならないし、あちこちで金が動き出す連鎖は起こらない理屈です。
国の場合は財務政策と金融政策という2発想から、大蔵省を抱き込んで紙幣を刷るという方法もありますね。また、ケインズ的に道路を作るなどして、周辺の関連産業を鼓舞していく、ということも考えられます。ただこれは、かつてのアメリカ以外には成功例がほとんどないようですが。
ともかく、官から無駄使いする権限をとりあげて、トンチンカンなことを言わせないようにする、大学の教育内容まで細かく取り決める、金融機関を縛る、第2外国語を強制とか、国民の望ましい国語力の達成なんて変なことももう言わせない、とやっていくなら、これは地方分権まで行かないと、中途半端で終るであろうと思います。
現在の中央集権は、明治政府の植民地化への恐怖から、この回避のために緊急避難的に組まれたものです。愚民前提の政策ですね。しかし今最も愚民は誰かというと、国会中継を見れぱあきらかです。もう必要ないから、江戸時代の地方色容認体制に戻ってもいいでしょう。中央の省庁で、是非とも必要なものは少ないです。
ともかく、根本的な解決をもくろむなら、海外から金を引っ張ってこないとまずいということです。金さえどんと入れば、各方面での良循環は期待できます。むろん歪みや、不公平は起こるでしょうが。今の国内は、外でものを売ってできてきたものであり、その態勢を整えてあったのに、全然売れなくなった、規模が大幅縮小した。そこで、井戸の底の狭い草地の草を大勢のヤギで食い合って、餓死者を出しています。モーゼを大金で雇って、広い草地にみなを連れ出す必要があります。
しかし、もう贅沢はいらない、つましく小さな経済で、というのもよく解ります。デフレを容認し、ものの価値をあるべき位置まで落とし、全体の規模を分相応まで下げればいい。これもまた日本人らしい道徳感性です。自分は家を買う金がなかったのだから、買えた人のことは知らないという意地悪がいくらかありそうですが、これには目をつむるとしても、この考え方には見落としがあります。日本人オリジナルの料理、蕎麦も、天麩羅も、みんな材料は輸入だということです。日本人の食料の8割は輸入です。そのために、海外の熱帯雨林を犠牲にしたり、罪深いことをしてきています。それを言いたいなら、「蕎麦天麩羅はもう食べない」ということも言わなくてはなりません。しかし塩のお握りだけを食べると、たとえ言ったにしても、米作りのトラクターは、百%輸入の石油で動いています。
日本は貿易立国であり、対海外競争をもう止めるわけには行かないのです。それは道徳ではなく、ただの負けです。だから、21世紀も行きぬくための整備を、きちんとしなくてはなりません。今ならまだチャンスがあります。日本製のモノの方が優れているからです。ただ販売力で負けているのです。しかし、韓国、マレーシアに、追いつき追い越されてから上のような方法をとっても、もう手遅れとなります。私が言っているのはそういうことです。
島田荘司。 |