2002年1月20日、響堂さん宛て
響堂さん、
朝日の夕刊に『トリケラトプス』というミステリーの評論のコラムがあるのですが、来る21日と28日、異例の2週連続で『21世紀本格』が取りあげられるそうです。WS刊島田荘司のBBSにも、「神の手」、誰かが絶賛してくれていましたよ。
トリケラに連続2度露出というのは、ちょっとした快挙です。出る頃になったら、穴井さんにも伝えます。スクラップしておいてもらわないといけませんね。彼もこの本ではずいぶん苦労もし、頑張りましたからね。
下の長山さんのもの、とりわけ最後あたりの考察、非常に感心し、強く同感するものでした。私はまさにこのことを、ヴェルヌでなく、ポーでやりたいと願って、あれを企画しました。別ジャンルから、このような共感が現れてくれたことに、とりわけわが意を得る思いです。そして似た発想をする人は、よそにもいるものだなと感動を覚えました。この一文を得ただけでも、あの企画をやったかいがありました。
まったくその通りなのですね。原点のあのフィールをこそ大切にすべきなので、達成成果を形式に整理し、これを行儀よく踏まえて追随し、量産するのも大事なのですが、ここだけを見ていてはまずいです。
長山靖生
「SFでBを取り上げるのは、ちと変ではないか、と思われる読者がいるかもしれない。しかしジャンルの束縛を離れて個々の作品を読めば、あたかもSFという概念が誕生する現場に居合わせたかのような感覚に身を揺さぶられることだろう。――
(中略)――収録作品はいずれも個性的で、心地よく頭脳を刺激してくれる。
そして共通点がもうひとつ。それはいずれの作品も、現代の最先端を『本格』的に突き詰めているがゆえに、必然的に「未来」へと思考がはみだしているところだ。私はここに、現代的冒険を書いているうちに、時空を飛び越えてSFを生んでしまった19世紀のヴェルヌと共通する精神を感じた」
うん、何度読んでもこれは素晴らしい文章です。しかもシャープで格好良い。まったくこの通りですね。優しい、完全に自然体の言い廻しで、創作の核を見事についています。永久保存の額に入れ、本格創作の人たちすべてに見せて廻りたい文章です。 今特に本格の書き手に、こういう発想がないです。やはりどこか動脈硬化を起こしています。威張るため、仲間の柔軟を許さない、あるいは青いと言って笑いたい
――、そういうところがある。SFのこの人も、もしかすると他ジャンルだから、これが言えたのかもしれないのですが。
島田荘司。 |