Vol.004
島田荘司先生。
残暑厳しき折、先生におかれましてはお健やかにお暮らしの事と拝察致します。このたびはお忙しい中アドヴァイスを下さり、ありがとうございます。
さて、前回先生にご教示頂きました点を基に、部分部分のあらすじを考えてみましたので、ご連絡致します。まだまだ未完成な部分ばかりとは思いますが、お目通しを頂きご教示を下されば幸甚でございます。
末筆ながら、御身ご自愛のほど心よりお祈り申し上げます。
小島正樹拝。
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中国大陸へと渡った秋島重治は、日本兵のひとりとして南京大虐殺を経験、その後湖北省への行軍途中に隊から脱落し、死ぬ寸前のところを中国人の娘に助けられます。その娘は両親を日本兵に殺され孤児となっていました。
娘の優しさに人間の心を取り戻し始めた重治は、南京でひどい光景を目の当りにした事もあってか、すっかり戦争に嫌気がさしてしまいます。そして日本兵である事を放棄し、中国人のひとりとして、この大陸のどこかでささやかに暮らして行こうと決心します。娘にも異存はありません。
やがてふたりは娘の親戚が住む村で暮らし始め、いつしか子供もできます。
ところがその村に突然日本軍が襲いかかり、殺戮と陵辱の限りを尽くしたのです。その日、重治は仕事で家を空けていました。川沿いにある彼の家には岡部菊一郎をはじめとする四人の日本兵が乱入、妻を犯し、娘を殺すと、その死体を吊り上げたり、首を切断したりします。そして彼らが死体をおもちゃのように扱っている時に娘の血が飛び散り、その一部が岸壁に付着、岩を赤く濡らします。岡部菊一郎はそれを見てげらげらと笑いながら「似ている、似ている」あるいは「なつかしいな」などと呟きます。
日中戦争の資料を調べましたら、1993年に北京で開かれた「第二回近百年中日関係史国際シンポジウム」で発表されたある論文に行き当たりました。それによると1941年9月、日本軍は湖南省岳陽市にある青山という町を突如として襲い、以後18日間ほど占領したそうです。
占領中日本軍は民衆や捕虜を縄で縛り、あるいは針金でつないでは田んぼに連れて行き、機関銃で掃射、虐殺をしたといいます。また、妊婦を犯した後その腹を切り裂いて中にいた胎児を道端に捨てたり、幼児を空中に投げてはそれを刀で受け止めて串刺しにしたり、ある家の入口をふさいで外から火をつけ、中にいる人たちを生きたまま焼き殺したともあります。論文の筆者はこれを「青山事件」と呼んでいました。
秋島重治が移り住んだ町がこの「青山」で、そこで重治は論文に書かれているような日本兵の残虐な行いを目撃し、さらには自身の家庭も岡部達に破壊されてしまうという風にしようかとも考えました。ただこの論文の信憑性の高さがどの位なのかが解らず「青山事件」が実際に起きたのかどうかが判断できませんでした。これは南京大虐殺についてもそうで、虐殺はなかったとする説や、虐殺はあったが殺した人の数は4〜5万ではないかという説など様々あるようです。
できましたらこのあたりは、大陸に渡った秋島重治の数年間を通して太平洋戦争の影に隠れてしまいがちな日中戦争をわかりやすい形に解きほぐし、さらには元々善良であった人たちが、戦争という異常事態で少しづつ狂ってゆく様を描きたいと考えますが、どうしたらよろしいでしょうか?
今のところ、殺害の動機となる中国での事件については、ここまで考えてみました。
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終戦後、復讐を誓って日本に戻った重治は、四人の行方を懸命に追います。頼りとなるのは娘の血が飛び散った岸壁を見た時に岡部菊一郎が発したという「似ている、似ている」あるいは「なつかしいな」という呟きだけです。
そこで重治は日本中の「赤壁」あるいは「赤岩」「血壁」「血岩」といった地名を徹底的に調べ、ひとつづつ潰して行きます。そしてとうとう秩父長瀞の「赤壁」に辿り着き、そこの景色が中国で自分が住んでいた村の風景に酷似している事から、この町かあるいは近くの市や村に岡部が住んでいる、または実家がある事を確信します。
重治の考えた通り、岡部菊一郎は長瀞町にいました。岡部家は江戸の昔、この町で名主を務めていて、その名残りか分家の長である菊一郎もその頃、町会議員として売り出していました。
重治は「自分も日中戦争で右足を失った」と偽り、岡部菊一郎に近づきます。そして岡部菊一郎と親しくなり、残り三人のターゲットの名前を聞き出すことに成功します。岡部菊一郎ら重治の家を襲った四人は従軍中ずっと同じ連隊に所属していて、戦後も賀状のやり取りを続けていたのです。
このことを知った重治は長瀞の町を復讐の地と決め、何とかこの四人を集めようと考えます。そして岡部菊一郎に、年に一度、日中戦争に従軍した者たちを集めて会合を開き、大陸で亡くなった人たちの慰霊をしないかとさりげなく持ちかけます。
この頃岡部菊一郎は県議会議員を目指していて、そのため名声を欲していましたので、この提案に飛びつき、以後年に一度、岡部がオーナーとなっている旅館で会合が開かれるようになります。
そして重治は長瀞町とはまったく関係のない群馬か埼玉辺りのどこかの市に居を構え、
一年に一度、この会合に参加をします。
重治がターゲットのひとりに辿り着き、復讐の準備にかかるところまでは、このようなストーリーを考えてみました。重治が真犯人であるという事をカモフラージュするため、ここは岡部菊一郎が音頭を取って、みなを年に一度集めているという風にした方がよいかと思いました。そして重治は岡部に呼ばれた中のひとりとして、毎年長瀞町に来るという事にすれば、読者の目を重治から少しでもそらす事ができる気がします。
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重治はこの年に一度の会合を利用して、ターゲットたちと親しくなり、彼らを油断させる一方殺人計画を練り続けます。
ある年の会合で、重治は四人が中国で自分の家族にした事を覚えているのかどうかを確認するため、ターゲットたちを誘って秩父赤壁へと行きます。しかしみな忘れているのか、あるいは結びつかないのか、赤壁を観ても特にこれといったリアクションはありませんでした。しかし、ターゲットのひとりである長澤平吉だけは違いました。秩父赤壁を見た彼は、あの時の事を鮮明に思い出したのです。
その後長澤平吉は、なぜ自分たちはあのような行いをしてしまったのか、また大陸で日本軍は何をしたのかを知るべく日中戦争の事を調べ始めます。そしてある本の中に見つけた一枚の写真に愕然とします。そこには殺して腹を割いた中国人女性の横で、小銃を手に誇らしげにポーズを取る自分が写っていたのです。
やがて長澤平吉は自分への戒めのため、娘の由紀子とともに秩父赤壁の近くに移り住みます。
さて、殺人計画を練りながらターゲットたちの体力が衰えて行くのを待っていた重治ですが、ここでひとつ困った事が起こりました。それは年齢を重ねたターゲットたちが、孫ができた事などもあってか年々好人物となってゆくのです。
中でも岡部菊一郎は人変わりしたかのような好々爺になり始め、頼ってきた孤児である英信という青年を助け、慰霊会の会合が開かれている旅館に住み込みで働かせたりします。重治はこれに戸惑いますがやはり復讐心は衰えず、昭和58年12月、この年の会合にはターゲットが全員揃ったという事もあり、ついに連続殺人を始めます。
主要人物がすべて出揃い、第一の殺人が始まるまでは、このようなあらすじが浮かびました。
長澤平吉はこの後病気のため右足を失い、それ以降はほとんど外出しなくなります。そのため他の町に住んでいる事にしてしまいますと、重治がその町まで殺しに行かなくてはならなくなりますので、長澤平吉は足を切断する前に長瀞町へ引越しさせておく必要を感じました。
また初期の段階では重治の孫である英信は岡部家の養子になるとしていましたが、これはあまりに不自然すぎたため、ターゲットたちが泊っている旅館に住み込みで働くという風に変えてみました。
長澤平吉の娘である由紀子も、この旅館で働いているという風にしたほうが良いかとも思いましたが、先生はどうお考えになられますでしょうか。
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第一の殺人が起こり、岡部菊一郎が死体となって発見されます。しかしこれは奇妙な首吊り自殺と判断されます。
この告別式に病弱な妻の代わりで出席した中村刑事は、顔見知りの駐在から死体発見時の詳細を聞き、どうにも自殺とは思えず、独自に捜査を開始します。またこの時、英信の友人で旅館に逗留していた海老原と知り合います。親子ほども年齢の違うふたりは不思議に馬が合い、海老原が事件に興味を示した事などもあり、以後ふたりは行動をともにします。
第一の殺人が起こるまでです。前回ご提案申し上げた内容を、先生のアドヴァイスに従いまとめてみました。
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告別式の翌日未明、重治はターゲットのひとりである町田健蔵を水管橋近くの河原に呼び出し殺害、その後、自身のアリバイを成立させるためと、その死を娘の殺され方に見立てるため、町田の死体にある細工をします。
まず川の中に突き出た岩の上に町田の死体を運ぶと、そこであお向けに寝かせます。つぎに水管橋へ行き欄干に黒い糸を結びます。その糸のもう一方の先端に石を結んでからそれを河原に投げた重治は、再び橋を降りると河原でそれを拾います。この時にひとつ気を付けなくてはいけないのが、橋から岩へ向かってまっすぐに糸が伸びてしまうと、切られた時に糸は扇子の骨を通る前に川の中へ落ちてしまいます。すると濡れてしまいますので火がつきません。だから重治はあたりに茂る木の枝の上に糸が通るように投げました。
拾った糸を持って岩へと行った重治は町田健蔵の頭部と岩の間に扇子を挟み、先ほど結びつけた石を外すと扇子の骨の間に糸を通し、今度は先端に木の枝を結び付け、それを川の中へ落とします。
これで一本の糸が水管橋から木の枝を通って町田の頭部へと伸び、そこで扇子の骨の間を通り水中へ没した事になります。川は岩から水管橋の方へ向かって流れていますので、先端に結ばれた木の枝がうきの役目をはたし、糸は扇子を支点に鋭角に曲がり、常に水管橋側に向かって引っぱられている形となりました。
その後重治は死体と岩にたっぷりのガソリンをかけます。季節は冬で空気は非常に乾燥しています。扇子の骨部分には赤燐を塗っておきましたから、橋上の糸が切れれば糸は橋から岩に向かって引っ張られ、扇子の骨を通る時にこすれ、それによって火がつくはずです。そして重治は毎朝未明、水管橋の上を犬に引っ張られるように散歩をする人物がいる事を知っていました。また事前に何度か糸を欄干に結び、はたして犬が糸を切ってくれるかどうかの実験も繰り返していました。
これで細工のすべては終わり、重治は現場を後にします。後は火がつく時間帯のアリバイを確実なものすれば、第二の殺人は無事終るはずでした。
しかしここにひとつのアクシデントが発生します。確かに水管橋の上を散歩する犬によって糸は切れましたが、その糸は途中で木の枝に引っ掛かってしまい、発火しなかったのです。
それから一時間ほど後、ひとりの老人がこの場所を訪れます。彼はほとんど毎朝ここにきては、鳥たちに餌をやるのを日課としていました。
いつものように河原に降りてきた老人は、岩の上に人が横たわっているのを見つけます。彼はこの日風邪のため鼻を詰まらせていましたので、辺りに漂うガソリンの匂いには気が付きませんでした。
さて、不審に思った彼が岩の方へと近づいた時、その餌を心待ちにしていた鳥たちが木の枝から一斉に飛び立ち、老人のもとへと集まります。
その時木の枝が大きく揺れたため、引っ掛かっていた糸が外れ、かなりの早さで扇子の方へと引っ張られ、自動発火装置が作動、老人の眼の前で、突如岩が爆発的に燃え上がります。老人はあまりの驚きにその場にへたり込み、一瞬宙を見上げる格好となります。すると小さな火の玉が岩から天へと上っていくのが見えました。
実はこれは木の枝から扇子の部分へと通されていた糸に火が付いて、その火が糸を燃やしながら木の枝のほうに上がって行ったのですが、老人はその時大きな驚きに包まれていましたし、一瞬でしたので糸が燃えている事には気が付かず、小さな火の玉が天に昇って行くかのように見えたのです。
この事件により町は大騒ぎとなり、岡部菊一郎の死も自殺から他殺へと見方が変わりました。秩父署には捜査本部が置かれ、埼玉県警の捜査第一課からも二人の刑事が派遣されます。
中村刑事は一個人として海老原を伴い独自に捜査を続けます。(あるいは中村の休暇は取り消され、そのまま長瀞町に残り県警と協力して事件にあたるようにとの命令が、警視庁の主任から届きます)
いずれにしろこうして中村刑事は第二の殺人を調べて行きます。しかし不可解な事ばかりが浮かび上がってきます。
まず燃えた原因ですが、岩や町田の死体からガソリンは検出されましたが、時限発火装置のようなものはいっさい見つかりませんでした。また老人は火がついた時、辺りに人はいなかったと証言しています。ではどうして火がついたのか。自然に発火するような条件はまったくありません。
謎を解く鍵はふたつ。被害者の頭部に挟まっていた扇子の燃え残りと、第一発見者の老人が見たという天に昇ろうとする小さな火の玉だけです。この時点で海老原はほぼ瞬間的にトリックを解明しますが、まだ自分の直感に自信が持てず、その事を誰にも話しません。
なぜ火がついたのか。それを調べるため中村刑事は、海老原とともに聞き込みを開始します。すると何軒目かの家にいた老婆が不思議な話をしました。
老婆によると、町田が殺されていた岩の辺りはもう何年も前から、特に冬場になると夜中に不思議な火の出る事が多いのだそうです。その火は一瞬の間に消え、慌てて岩の近くに行ってみても誰も居ないのだと言います。
「狐火だよ」と老婆は言い、秩父地方に伝わる狐火に関する民話を中村刑事たちに語って聞かせます。
実は重治が毎年のように岩の近くで夜中に殺人トリックの実験をしていたため、その
火が目撃されていたのです。
先生が教えて下さいましたように、トリックに一つの失敗を埋め込んでみました。それによっていくつかの不可解な現象が出せたと思います。
またお送りさせて頂きました原稿では、県警のふたりの刑事は威張屋タイプの西宮達吉と、若いいわゆるキャリアの仲村秀平という事になっていました。仲村をキャリアにしておいたのは、今後日本のどこかで不可解な事件が起きたときに、仲村が海老原に捜査を依頼するという形が取れるため、海老原の行動範囲が広がると考えたからです。
この刑事二人の性格などは元のままでよろしいでしょうか?
いずれにしても仲村秀平については、もしこのまま登場させるとしても、中村刑事と苗字がダブってしまいますので、名前を変える必要があると思いました。
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ふたりを何とか殺す事に成功した重治は、第三の殺人に踏み切ります。ターゲットである浅見喬を長瀞町オートキャンプ場下流に呼び出した重治は、睡眠薬を使って浅見を昏倒させると、その体を甌穴近くの岩まで運びます。この辺りは深い砂地ですので足跡の採取は不可能であり、また義足では到底歩く事はできません。そのため義足と偽っている重治はこの場所を殺害現場に選んだのです。
岩はいびつなピラミッドのようにゆるやかな四角錐の形をしていて、四側面のうちのひとつはやや上流側の対岸を向いていました。重治は浅見の体をそこに置きます。すると浅見は対岸を向いて岩の側面に座っているような格好となりました。
対岸は浅見が向いているところまでは高い崖が切り立ち、その後は平地となっていました。この辺りの川は水深2〜3メートル、また川幅は10メートルぐらいです。浅見をそのままにして一度岩から離れた重治は、一番近くの橋を使って対岸へ行き、ちょうど浅見の体の正面にある崖に登ります。そして背中のリュックに入れておいた氷の塊を崖の上に置きます。
氷の中には二本の長い鎖の先端部分だけが埋め込まれています。鎖の長さは15メー
トルほど。その鎖を対岸の浅見がいる方に投げた重治は、再び橋を通って岩の方へ戻ります。
別の鎖を取り出した重治は、それで浅見の体を岩に縛りつけます。また顔を上向きにするため、あごのわずかに下の部分も鎖で縛り、あごを持ち上げるような格好にしておきます。
そうしておいて対岸から投げた鎖を取ってきた重治は、その二本の鎖を浅見の両手首に縛りつけます。鎖の長さはぎりぎりですので、これで浅見の両腕は持ち上がり、ちょうど対岸の崖に向かって「大きく前ならえ」をしているようになります。
重治はもう一度橋を渡って対岸へ行くと崖に登り、レール状になった二本の鎖の上に斧を置きます。二本の鎖にはそれぞれ一ヶ所ずつ握りこぶし大の氷がくっついていますので、それがストッパーとなり、斧は滑ることなく鎖の上で停まります。
そこまですると重治は現場を離れ、アリバイを確実なものとするため旅館に戻ります。
やがて氷のストッパーが溶けると、斧は二本の鎖の上を浅見の首めがけて滑り落ちます。二本の鎖と浅見の両腕がレールの役割を果たし、斧を首まで誘導するという仕掛けです。
斜めに滑ってきた斧はかなりの勢いで浅見の首にあたり、切断は成功、浅見は絶命します。斧は勢い余って近くの砂地に落ちると、三分の一ほど埋まりました。
当初、重治はこのトリックにロープを使うはずでした。鎖に比べると格段に軽いですし、手に入りやすいからです。しかしロープでこのトリックを何度か試みましたが、氷の塊の中から抜けやすい事と、風に揺れてレールの役目をうまく果たさない事などから、鎖に切り替えたのです。
さて、ここまではうまくゆきました。あとは崖の上の大きな氷の塊が溶けてしまえば、鎖は川の中に落ち、浅見の両腕もだらんと垂れ下がるはずです。しかしここにひとつの手違いが起きます。当日は雪が降りそうなほどに寒く、そのため氷がなかなか溶けず、氷の塊の中から鎖の先端が抜け落ちた時にはもう、浅見の体は死後硬直を起こしていたのです。そのため浅見の両腕は前方に突き出たまま戻らなくなっていました。
数時間後、旅館から姿を消した浅見の捜索が始まります。浅見が殺されていたオートキャンプ場は冬期閉鎖中でしたので、死体はなかなか見つからないと思われましたが、捜査開始から一時間ほどで発見されました。これは中村刑事の提案によるもので、彼は第一、第二の殺人とも川沿いで起きている事に気づき、河原付近をまずはじめに調べるよう指示したのです。
見つかった浅見の死体もまた、不可解なものでした。鎖で幾重にも縛られた遺体には首がなかったのです。首は近くの砂地に転がっていました。その横には血にまみれた斧が砂中に埋まっています。そしてこれが一番不思議だったのですが、遺体はまるで昔流行った香港映画に出てくる「キョンシー」のように、両腕を前に突き出しているのです。その腕には長い鎖が結ばれていました。
その両腕を見ているうち海老原に何かが閃きます。そして両腕の先にある対岸の崖を調べるため、中村刑事を伴って一旦現場を離れます。
対岸の崖に登ると、そこからは浅見の遺体がよく見えました。遮るものはなにもありません。そして浅見の両腕は、中村刑事と海老原が立つ崖の上にぴったりと向けられていました。ただ、その崖は近くの木々に遮られて陽があたらない事などもあり常に湿っていましたので、氷が溶けた跡を見つける事はできませんでした。
第三の殺人については、トリック自体を変更してみました。お送り致しました原稿では、頭上の木から斧が落下するとなっていましたが、それだとうまく首の上に斧が落ちる可能性がほとんどないような気がしましたし、仕掛けのスケールが小さすぎるように感じていました。
ただこれにしますと、そこまで大仕掛けをして浅見を殺すメリットがあるのかという点が気になりました。そして浅見を「睡眠薬で昏倒させる」という部分も、もう少し何かうまい手段があるように思います。
このあたりは引き続き考えようと思いますが、どうすればよいのかお教え頂けるとありがたいです。
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中村刑事は告別式で岡部菊一郎の奇怪な死に方を聞いて以来、これは尋常な事件ではないとの予感を抱いていましたが、それは的中しました。第二、第三の殺人とも、犯人は明らかに何かに見立てて殺しているのです。
では何に見立てているのか。殺された三人に共通するのは日中戦争に従軍した経験を持つ事と、いずれも川で殺されている事のふたつだけです。中村刑事は考え続けます。そして浅見が殺害されていた現場に落ちていた、砂に埋もれた斧が、彼に天啓を与えます。
漢詩です。あの斧は杜牧の「赤壁」という漢詩に見立てられたものではなかったか。中村刑事は絵を愛していた母の影響か画家としての素質を持ち、絵画以外にも広く芸術に精通しています。漢詩も無論知っていて、豪邁といわれる杜牧の作品を、彼は気に入っていました。
中村刑事は海老原とともに秩父市内の図書館へ行き、杜牧の漢詩を調べて行きます。しかし「赤壁」以外に見立てに当てはまりそうな漢詩はありません。漢詩見立てではないのか。中村刑事は落胆しかかりますが、海老原の提案で今度は赤壁を詠う漢詩を調べてみます。
古戦場として名高い赤壁は著名な詩人が訪れては作品を作っており、調べてゆくと杜牧のほかにも蘇軾や李白が赤壁と題する詩を詠んでいました。蘇軾はふたつ作っていますので、赤壁を詠う漢詩はとりあえず四つある事になります。もちろんほかにも赤壁に関する漢詩はあるでしょうが、誰でもその名を知っているような著名な詩人の作品はこの四つです。
中村刑事と海老原は三つの死体の様子と漢詩を付け合せてゆきます。すると岡部菊一郎の死が蘇軾の「赤壁の賦」に、町田健蔵の死が同じく蘇軾の「赤壁懐古」に、浅見喬の死が杜牧の「赤壁」に合致しました。
残る漢詩は李白の「赤壁の歌 送別」のみです。中村はもうひとり、誰かがこの詩に見立てて殺されるのでは思います。しかしこの予感は当りませんでした。翌日早朝、二つの死体が発見されるのです。
ミスディレクションとしての漢詩はここに組み込んでみました。重治がトリックのために使った舟や扇子、鎖、斧といったものが赤壁を詠う漢詩に出てきますので、二人はしばらくの間漢詩に気を取られます。
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中村刑事たちが漢詩を調べているとき、重治の計画は最終段階に入っていました。残るターゲットはあとひとり、長澤平吉だけです。
長澤平吉はある病気のため15年程前東京の病院で右足の膝から下を切断、以後その事を隠すためほとんど外出しなくなりました。長澤平吉が患った病気は今でこそ治療法も確立されていますが、当時は遺伝によるものと誤解をされていました。そのため長澤平吉は娘の由紀子に累が及ぶ事を恐れたのです。ただ長澤平吉は自分が義足であるという事を重治だけには打ち明けていました。これは重治が右足を義足であると偽っていたためです。
深夜、長澤平吉を岩畳に呼び出した重治は、中国での過去や、その復讐のため娘の酷い殺され方に見立てて岡部たちを殺していった事などを話し、平吉に襲いかかります。しかし平吉はもうこれ以上重治に罪を重ねさせたくはありませんでしたので、自分は自殺をすると言いながら、襲い掛かる重治を止めようとします。
ふたりはもみ合いとなり、父の後をつけて来た由紀子がそれに割って入り、その拍子に重治は転倒、頭を強く打って絶命します。
「わしが重治を殺したんだ。お前は何もしていない」平吉はそう言うと由紀子を家に帰します。重治が義足ではなかった事に驚いた平吉は、とっさにその足を盗もうと思い、そのためには由紀子がいてはまずいという事もありました。
さて、由紀子を帰した平吉は重治の右足を切断、それを手にするとライン下りの船着き場へと急ぎます。船着き場には五艘ほどの船がもやいに繋がれていました。近くの屋台に置かれていたガソリンを盗んだ平吉は、それと重治の足を持って船に乗り込みます。
平吉は船を少し下流の滅多に人が来ないところで停めると、船の中にガソリンを撒き、自分の左足を切断、さらには割腹して腸を掴み出した後、火をつけて死にます。左足を切断したのは右足だけが切れているのをカモフラージュするためで、また腹を割いたのは、自分が写っていた一枚の写真(腸をつかみ出されて殺された中国人女性の横で小銃を手に誇らしげに立っているというもの)の女性と同じ苦しみを味わおうとしたからです。
一度家に帰った由紀子はいてもたっても居られず、旅館に住み込みで働く英信に助けを求めます。英信はすぐに由紀子の家に行くと、彼女を伴って岩畳へと行きます。するとそこに平吉の姿はもうなく、足を切断された重治の死体だけが転がっていました。
由紀子を家まで送った英信は、ひとりで平吉を捜します。そして川の中で燃えている平吉の死体を見つけます。平吉が自殺したのか、あるいは息を吹き返した重治に殺されたのか、英信には解りませんでしたが、いずれにせよ祖父の復讐が終った事を彼は知ります。
祖母が中国でどのような目にあったかを知っていた英信は、復讐と祖父を捜すために岡部菊一郎が住む長瀞町に流れてきていたのです。ところが自分が復讐を始める前に祖父である重治が岡部たちを殺し始めました。そのため英信はターゲット全員が死んだ時点で重治を殺し、自分が身代わりになろうと思っていました。
途中の交番から制服を盗んだ英信は、そっと旅館に帰ると納屋からトラバサミを持ち出します。そして岩畳に戻った英信は重治の右足の腿部分を切断します。平吉が切ったのは膝部分でしたので、そのままにしておくと傷口の新しさから、重治が義足と偽っていた事がばれてしまう可能性があったためです。
切断した腿に石を結びつけて川の中へと捨てた英信は、重治の遺体に警察官の制服を着せると、右足腿部分にトラバサミを挟みます。これは重治の遺体を「ばけ狐」という民話に見立てて、右足を切断した理由をカモフラージュするためです。
英信は昔から民話とか伝説のたぐいに興味を持っていて、この地に流れてきてからは秩父地方に伝わる民話の採取を続けていました。そして重治が行った三つの殺人と先ほど見た平吉の死に様にそっくりの民話が存在している事に気づき、自分が五人を民話に見立てて殺したという事にしようと思ったのです。そうすれば重治の死体を「ばけ狐」に見立てた本当の理由も隠す事ができます。
細工を終えた英信は祖父である重治の死体を赤壁が見渡せるあずまやに座らせると、岩畳を後にします。
このあたりは最初の原稿とほとんど変えていません。そのため変更の必要をお感じになった点がありましたらお教えください。
できましたら、平吉は自分が足を失っている事を隠すため、英信は重治が義足と偽っていた事を隠すために、重治の足は二度切断されたという部分はこのまま残したいと思います。
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ふたりの死体が発見された後、五人を殺したという事で英信が連行されます。彼の部屋からは重治の血がついたコートが見つかりましたし、制服が盗まれた交番からは英信の指紋が多数検出されました。
警察署で英信は、自分の母が生まれた中国で殺戮を繰り返した五人を許せなかった事、その五人を大好きな民話に見立てて殺して行った事などを自白します。
やがて英信は逮捕され、事件は解決します。
しかし中村刑事はこの結果がどうしても腑に落ちません。いくら民話が好きだといっても、そのためだけにあれほど大掛かりな殺し方をするとはとても思えないからです。この事件には隠された真相がまだある。そう考えた中村刑事は海老原とともに捜査を続けます。
五人はみな川かその近くで死んでおり、そこにヒントを求めた中村刑事は冬場はやっていないライン下りの船を特別に出してもらい、海老原とともに乗り込みます。ライン下りとは長瀞町を流れる荒川を30人ほどが乗れる船で下るもので、これなら五人が殺された現場のすべてを船上から見る事ができます。
ライン下りの途中、中村刑事と海老原は石が結わえつけられたロープを発見します。これを岡部菊一郎殺しのトリックに使われたものであると直感した海老原は、今まで自分の中で閃いた事のすべてを中村刑事に話します。中村刑事はその閃きに驚きつつもそれを的確に事件に結びつけてゆき、その後現地の再調査をして、とうとう第一から第三の殺人トリックを解明します。そして三人を殺す事ができるのは秋島重治しかいませんでした。ただ、動機がわかりません。そのため中村刑事と海老原は日中戦争の事を調べながら、五人の過去を辿って行きます。
やがて二人はある中国人の目撃談が載っている本を探し当てます。その中国人は重治の娘が四人の日本兵に弄ばれるように殺されていったのを遠くから見ていて、そのときの様子を本の中で証言していたのです。
中国人が語る娘の殺され方は、重治を除く岡部たち四人の死体の様子に酷似していました。重治は四人を娘の死に方に見立てて殺そうとしていたのです。
この本を手に英信と会見した中村刑事と海老原は、彼から事の真相を聞き出します。英信は祖父と祖母の過去のすべてを母から聞いて知っていました。
事件は解決しました。しかし真相に行き当たった中村刑事は、どこか空しさのようなものを感じていました。殺されていった岡部菊一郎たちもまた、戦争が生み出した狂気の、一被害者であったように思えたからです。
中村刑事はそれからしばらく、孫の写真を見せ合っては楽しそうに語らう浅見喬や町田健蔵の姿を忘れる事ができませんでした。
翌年6月。海老原と英信、由紀子の三人は警視庁に中村刑事を訪ねます。由紀子はほとんど罪には問われず、死体の足を切断した英信も執行猶予がついたので、そのお礼です。英信はこれより少し前に祖父の苗字を継ぎ、秋島英信となっていました。
混血のファッションモデルのような、髪の長い鼻筋の良く通った男性刑事に案内された三人は、会議室のような場所に通され、久しぶりに中村刑事と再会します。中村刑事は相変わらずベレー帽を被っていました。
三人は近況を報告します。英信は由紀子との結婚を決めていて、結婚後も二人で長瀞町に住み、祖父たちの墓を守って行きたいといいます。海老原は相変わらず、晴耕雨読の生活を続けています。
自宅の畑で取れたという枝豆を海老原からもらった中村刑事は、三人を送り出すと仕事に戻りました。
英信逮捕から事件解決まではこのように考えてみました。見立てについては
1 重治は娘のあまりにひどい殺され方に見立てて四人を殺害しようと考えた。
2 それを中村刑事と海老原は漢詩見立てではと勘違いをした。
3 英信は重治の死体から腿を切断した理由をカモフラージュするため、また自分が身代わりとなるため、民話見立てのように見せかけようとした。
としてみました。
また「天に還る舟」の民話につきましては、天から舟に乗って降りてきた鬼たちが、地上で好き放題に暴れ回りますが、ある事をきっかけに鬼たちは改心をし、神に姿を変えて乗ってきた舟で天に還る、というような話を構想、それを死んでいった岡部たち五人にダブらせるようにしようかと考えています。
最後の、三人が警視庁へ行くというくだりはちょっとした遊び心で、ほんの一瞬でも吉敷さんに出て頂きたかったため、付け足してみました。不要とお感じになられるようであれば削ろうと思います。
また当初ワトソン役として登場していた鈴木たつるはどうしたらよろしいでしょうか? 中村刑事が海老原とコンビを組んでくださるのであれば、鈴木たつるは必要ないかなと感じております。
今回はここまでまとめてみました。至らぬ点ばかりとは思いますが、ご指導ご教示のほど、よろしくお願い申し上げます。
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