南雲堂刊、『天に還る舟』のできるまで

天に還る舟に関してのやり取りをご紹介します。
>>これを読まれるのは、作品を読まれてからにすることをお勧めします!<<

Vol.003

小島さん、

 追われておりまして、返事が間遠くなりがちで申し訳ありません。しかしこの作品は、一緒にじっくりと仕上げ、話題作にできればと思っています。ご協力をお願いします。

> まずタイトルですが、先生がお考え下さった「天を行く舟」は言葉の響きが美しく、そして幻想的な光景が眼の前に広がるようで、とても魅力的なものだと思いました。「長瀞町の殺人」には仮題的な要素もありましたので、タイトルは「天を行く舟」でお願いできればと思います。

 これですが、「天を行く舟」もとてもいいですが、あれからずっと考えていまして、秩父の民話を構想するなら、「天に還(かえ)る舟」の方が物語りを生む力があるように感じています。このタイトルで、まず民話を構想してみてもらえませんか。
それがうまく行かず、「行く舟」の方でよい話が浮かぶなら、こちらで行くということにしませんか。

> ご心配下さいました犬が糸を切る場面ですが、一応まだ暗い時間帯である12月の午前3時半から4時に設定し、糸も黒いものであるとしたのですが、難しいようでしたら、牛乳を配達する人の自転車か、新聞配達の人のバイクが糸を切るという風に変えようかと思います。

 解りました。その時間帯で、あたりがまだ暗いなら、大丈夫でしょうね。この点は了解しました。まずはそれで行きましょう。実働段階でさらによいものが浮かべば、また修正を考えましょう。

> 四人は何度も妻を犯し、その横で娘は怖さに泣きじゃくります。それをうるさく思った岡部菊一郎が、娘を窓から思いっきり投げ捨てます。
 秋島重治の家は川沿いにあり、窓の外からは対岸の岸壁が見えました。投げつけられた娘はその岸壁に激突、岩を血で真っ赤に染めた後にずるずると落下、途中木の枝に引っ掛かり、中空で首を吊るような格好となり、やがて首が切れて胴体もろとも川に浮かぶ岩の上に落下、岸辺は日本兵がつけた火により燃えさかっていましたので、そこで娘の死体は黒こげとなり、やがて川面で燃え尽きようとしている舟の上に落ちます。
(あるいは秋島重治の娘は、四人の兵士に四度殺されたということにします。例えば町田健蔵が娘を岩に叩きつけて殺し、その死体の首を、岡部菊一郎が橋に通したロープに引っかけて中空へ吊り上げ、橋の上から浅見喬が首を切断、最後に長澤平吉がその死体を舟に乗せ、火をつけたとかです)

 子供を投げ捨てるのはよいと思いますが、対岸の岩肌に打ちつけられたというのはよくないと思います。そこまで届くかどうか疑問だし、届いても、血にまみれるほどつぶれるとは信じがたい、と読者は思うのではないでしょうか。またそんなに対岸が近ければ、舟がなくても逃げられます。少なくとも読者はそう感じてしまいます。ただ窓の下の岩肌、ということでいいでしょう。
 その後死体をモノのようにもてあそび、切断したり、火をつけたりするのはいいと思います。戦争で、人の脳がこんなふうに狂う話はよく聞きます。

> 戦争が終わり、帰国を果たした秋島重治は、長い年月の末、四人の居場所を突き止め、彼らが暮らす長瀞町へ移り住みます。ある日、長瀞町の観光名所として名高い岩畳へ行った秋島重治は、そこで大きな驚きに包まれます。なぜならそこから見える荒川の景色が、中国の秋島重治が住んでいた家から見た風景とそっくりだったからです。驚きはそれだけではありませんでした。中国の岸壁は投げつけられた娘の血によって赤く染まりましたが、日本の岩畳から見る岸壁も、ちょうど同じような場所が真っ赤な色をしているのです。その奇岩は秩父赤壁と呼ばれていました。

 これはちょっと、あちこちあまりに偶然に頼りすぎでしょう。観光ガイドブックによって、もしやと秋島が感じ、「秩父、長瀞町の岩畳」を訪ね、そこで赤壁を見てあっと驚くとした方がよいでしょう。偶然は、他にはどうにも方法がないという時に限りましょう。
 さらに、たまたまここにターゲットの岡部たちがそろって住んでいたというのも、ずいぶんご都合主義的に見えてしまいます。彼らは、中国で自分のやったことをすっかり忘れていたのでしょうか。殺戮の数が多いので、赤壁も気にならなかったのでしょうかね。通常は、こういうところに暮らすのは嫌でしょう。
 ここは、驚いて、以降この地に移り住んだ秋島が、何らかの方法で彼らを呼び寄せたとする方がリアルだし、本格探偵小説的ですね。たとえば、秋島自身が旅荘とか、老人向けのなんとかセンターをやっている、なんていうのもありそうです。ここでいつか、みんなを殺そうと決心していた、というもの。
 そして鬼のような彼らだったが、今は異様なまでの好々爺になっているという方が、落差が出るし、事態を解りにくくしますね。写真を持っていて、孫の話ばかりしているとかね。そこで秋島が、さりげなく戦争の話などする、しかし、岡部たちは……? という方が面白いです。
 ただしこれだと、犯人は秩父在住のものと見当をつけられかねません。そこで、ターゲットの内で、自殺する者は、もともとこの地の出身であり、赤壁の悪しき思い出を自覚していた、そしてこの人物が老人向けの施設をやっており、ここに他所からたびたび訪れ、よく滞在していた秋島が、いよいよ決行を決心したら、自分もあの戦争に行っていたとか、あるいは何か餌を用意して、この人物の戦友をここに集めるようにたきつけたとか、そういう方がいいかもしれません。
 今はその程度にゆるく言っておきますので、ちょっと考えてみてください。思いつかなければ、私がすっかり作ってしまってもいいですが。

> やがて復讐が始まり、岡部菊一郎の死体が発見されます。しかし外傷もなく手足も縛られていない事から、これは奇妙な首吊り自殺と判断されます。

 これはいいですね。

> この時期、中村刑事は休暇中で、妻の実家である秩父市に帰省していました。そしてこの話を聞き、自殺という判断がどうにも腑に落ちず、聞き込みも兼ねて告別式が行われている斎場に向かいます。(あるいは中村刑事の妻の実家が岡部家と懇意にしていて、病弱な妻の代わりに中村刑事が告別式に出席、この事件を知るという風にしたほうがよいかも知れません)

 後者はとてもいいですね。ありそうです。告別式に駐在から聞くというのはよいです。

> 復讐は続き、町田健蔵、浅見喬が殺されて行きます。捜査を進める中村刑事はこの頃から、海老原が鋭い洞察力と非凡な閃きを持っていることに気が付きます。しかし海老原はこういった捜査に不慣れですので、その能力をうまく発揮できずにいます。

 そのような感じでしょうね。

> また、先生が危惧されていましたように、この段階で漢詩が重荷となり始めましたので、思い切って物語から外してみました。

 これはどうでしょうか。漢詩は、ミス・ディレクションとしてでも、残した方がいいと思いますよ。削除はもったいないです。中村には、漢詩の素養くらいはありそうです。彼がこれを持ち出し、海老原が土地の図書館等に行って調べ、しばらく2人はそちらに気を取られる、というのはなかなかいいと思います。
 なんとか組み込むことを考えてみてください。入れるなら、岡部英信逮捕の前でしょうね。割合早い段階がいいでしょう。
 
 それから今のところ、計画が立てられ、それが実行され、成功している、といったシンプルな連続になっていますね。実際にはこの手の機械トリックは、失敗の連続となるものです。「天に還る舟」、もしくは「天を行く舟」をなぞる殺人だけは成功しますが、あとのものは大なり小なり、なんらかの失敗を内包する、ということを踏まえてもう1度考え直してみてください。事件はさらに込み入り、不可解な要素が増してくるはずです。
 
 また考えて、メイルをくれませんか。部分部分のあらすじがいいでしょうね。だいたいできたら、あらすじをしっかり仕上げ、これに沿って実働に入りましょう。
 ではさらに頑張ってください。これは必ず傑作になりますよ。
 ところで秩父には、実際に赤壁など、こういう場所があるのですか?

島田荘司。