ゴウレムの名は、「創世記(ジェネシス)」中の詩篇139章によって、はじめて世に現れる。この中で、アダムが神にこう話しかける。「私がひそかに地の深いところで作られた時、あなたの目は、ゴウレムである私をとらえた。まだ魂のない胎児であった私を」。ゴウレムを土くれや粘土から作るという発想は、ここから生じた。そしてゴウレムは、当初はこのようにただ生命体の原型であって、怪物ではなかった。 ユダヤの「創作の書」には、アブラハムとゴウレムとのエピソードが見える。アブラハムも当初、ゴウレムの作り方を知らず、知りたいと考えていた。するとある日神の声が聞こえ、こう言った。おまえは神になろうとしているのか。しかしおまえは、私を決して理解はできない。しかしよき仲間を得、ともに瞑想をすれば、ゴウレムの作り方は理解できよう。
 約束の地を目指していたアブラハムは、旅の途中、正直者のノアの息子、セムと出遭う。そして二人は共同して瞑想し、ついに神の意志を読み取って、ゴウレムの作り方を知る。アブラハムは粘土をこねて何人もの人型を作り、これに生命を吹き込んで、パレスチナに連れていった。「創作の書」は、しかし古代の書ではなく、伝承をもとに、3世紀から6世紀の頃に書かれたものである。

 ユダヤ教は、禁断の林檎を食べたアダムとイヴを原罪とは見ない。創造につながる冒険は容認する。創作こそは神のみが成す仕事であるが、賢人はこれを真似、神に近づくことは許されている。 ユダヤ教は、キリスト教とは上下構造が異なり、キリスト教は神と人との間に教会を置くが、ユダヤ教は違う。人は神と直接つながっており、両者は契約関係にある。だから人は神と会話もできるし、同等となることは許されなくとも、身近な友人でもある。ユダヤ人が多くの優れた学者を産んだ秘密は、この信仰が許す積極性にもある。
 ユダヤ教は、神は世のすべての事物を、言葉によって創造したと考える。事物を事物として共通認識できるのは、言葉が存在するがためである。神は、生命もまた言葉と数字によって創造した。無数の生命体と天地も、この方法で創りだされた。神に近づくとは、ユダヤ人にとってこの創造時の秘密の言葉と、数字とを知ろうとする行為だった。

 時代がくだり、神秘主義に埋没し、悪魔による攻撃の意味を類推しながら、造物主の宇宙を考える者たちが現れる。創造主の力の象徴こそはゴウレムであるから、この宗派のラビたちは、自分の性質を高僧の高貴に高めるにつれ、ゴウレムを創りだす能力が身につくと信じるようになる。
 この時代のラビ、ラーヴァは、ついにゴウレムを創った言われる。しかしこのゴウレムは、口がきけなかった。口のきけるゴウレムを作れば、ラーヴァは神となってしまう。よって人間の修行僧の作りだせるものは、口のきけないゴウレムまでと考えられた。
 ある宗派は、日夜隠れた修行を積み、自己鍛練に身をさらし、悪魔も恐れぬ秘密の儀式に明け暮れて、ゴウレムに生命を吹き込む神の言葉を探りつづけた。そういう密教の一派が「カバラ」である。「カバラ」の全盛期は、紀元1000年頃の南スペインにおいて存在する。ここは当時イスラム教の支配下にあったが、この時期、この地での瞑想によって得られた神の言葉が、おびただしい秘密文書として書き遺されている。
 高名なものはスペイン人アブラフィアの著した「魔術の法則」で、スプーンいっぱいの塵を、息を吹きかけながら水の表面に落とし、神の第二の家についての呪文を唱えることでゴウレムを創りだす。この時口にされるべき200を越す言葉や文字が、書き留められている。
 この時期の多くの秘密文書が、塵や人型の粘土に生命を吹き込む方法について詳述している。粘土の周りを踊りながら回る回数、その方向、踊りの動き、その時唱える呪文の詳細等である。
 しかしカバラの時代は短かく、西暦1100年頃、十字軍の時代が始まる。これは同時に異教徒虐殺の時代でもあるから、エルサレムが奪還されるとキリスト教徒の意気はあがり、異教徒の虐殺は感動のうねりとなって全ヨーロッパを被う。多くのユダヤ人がこの時代、軍や武装した民衆によって逮捕され、惨殺された。

 時代が12〜3世紀に入ると、ゴウレムに関する文献が世界のあちこちに現れはじめる。ハシドというラビは、生命を得たゴウレムと、しばらく一緒に歩いたと語り、フランスのガオンは、ついに神の秘密の言葉を聞いて、ゴウレム創造の儀式を体系化したと述べた。
 チェコスロバキアのプラハは、紀元1600年頃世界の文明の中心地であり、世界中から学者や占星術師、錬金術師、魔術師、思想家、作家、詩人たちが集まり、名をあげることを競った。この大都会は神秘家や魔術師たちの坩堝で、『千の奇跡と、無数の恐怖の街』と呼ばれた。
 プラハは学問の最前線でもあったが、同時に酸鼻な迫害の街でもあり、カトリック以外の異端、異教の者たちは、日夜激しい迫害を受けた。十字軍台頭以来、生命の危険にさらされ続けるユダヤ人は、この街でもゲットーを形成し、固まって住んでいたが、この魔法の都においてゴウレムは、いよいよわれわれがよく知るモンスターに成長する。彼がひとたび立ちあがれば、何人も太刀打ちができず、ユダヤ人を守って凶暴な、それはちょうどあのヤーハエのような存在だった。
 プラハにいたユダヤ人たちによって、ゴウレム伝承はかたちを成した。この都市に集まった知識人のうち、最も際立っていたのはタルムード学者であり、神秘主義者でもあったラビ、レーヴだった。彼はプラハの中心部を流れる川の土手の粘土から、ゴウレムを作ったとされた。
  レーヴは粘土で人型を作り、神の言葉の呪文を唱え、粘土に命を吹き込む準備を終えると、最後に『エメット(真実)』とヒブル文字を額に書き込む。この時にうっかり最初のひと文字を落とし、『メット(死)』と書いてしまうと、ゴウレムはたちまちくずれて土に戻ってしまう。
カトリックのシルヴェステル法皇も、女のゴウレムを作ったとされた。しかし際限なく喋るので、すぐに壊してしまった。
ユダヤ人の詩人イブン・ガビロルは、皮膚病を患らって一人で暮らしていたのだが、家事をやってくれる妻が欲しくて、やはり女のゴウレムを作った。しかしこのゴウレムは木と蝶番とでできており、皮膚の弱い彼にはよい伴侶ではなかった。

 ゴウレムの物語は魅力があり、近代に入っても産まれつづけ、怪物は甦り続けた。電気のめざましい力が発見されれば、メアリー・シェリーは秘密の呪文でなく、電気ショックによって「フランケンシュタイン」に生命を吹き込んだ。原子力が発見されると、その力を用いて別のモンスターが出現した。
 しかし最も強力であり、伝承に忠実でもあった科学は、20世紀に現れた遺伝子工学であり、発生生物学であったろう。「創世記」が教えてきた通り、創造の神は、事実暗号文字によって無数の異なった生命と、天地を創造していた。しかしその文字は、細胞の奥底にたたまれ、しまい込まれていた。そしてわれわれは、ついにこの秘密の文字を読み、呪文を心得た。われわれは今や、ゴウレムを創りだせる力を得た。

 そうする一方、ゴウレムはユダヤ民族の被迫害とともにかたちを変え、次第に肥大し、怪物化した。より強い破壊的な腕、より早い強い足、より遠くを見通す目と、遠方の敵を的確に叩き潰す飛行能力。こういうゴウレム幻想が、われわれを引きずってきた。人は何故爆弾を創ったのか。何故機関車を創り、戦車を創り、戦闘機を作ったのか。何故銃を創り、ヒトラーはミサイルを創ったのか。
 ゴウレムを作れなかったからだ。われわれはゴウレムを真似、大量破壊、大量殺戮の戦争形態を創りあげた。ゴウレムとは、このようにわれわれの文明の鏡像である。美も、教訓も、破滅も、すべてこの物語の中にある。われわれの科学史とは、ゴウレムを作りださんとし、神の文字を知ろうとした歴史だった。より強いゴウレムの手、より速いゴウレムの足、より遠くが望めるゴウレムの目を作りだしながら、ついにここまできた。あとは、彼がわれわれを滅ぼさないことを祈るばかりだ。

 

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