LAという、人口規模の点ではアメリカ第二の都市が、ロンドンやパリ、東京などと最も違っている点がどこかというと、街が熟成発展していく段階で、すでに自動車が存在したということだ。
 これはアメリカにあっても若い都市、LAの特徴である。だからLAは、街の重要施設が中央にまとまっているということがない。レストランにしても各種モールにしても、ダウンタウン付近の店が最も格式があるというようなことはなく、むしろ郊外、海べりなどに有名な老舗は多い。市民が自動車という移動手段を、早くから持っていたからだ。
 しかしこの博物館の一番の売りは、LAの発展に貢献した往年の自動車たちではなく、ハリウッド映画に出演した自動車たちである。これがまたLAという都市のもうひとつの特徴で、ここはハリウッドの街として発展してきたということだ。
 だが博物館のこういう構造は、自動車好きとしては少々異な感じではある。箱根とかヨーロッパの自動車博物館は、このような趣向で成り立ってはいない。これらの場所でのスターは、常にスポーツカーである。それから各カテゴリーのレーシングマシン、これらが自動車の華で、自動車博物館とは要するにスポーツカーを展示して見せる場所であり、セダンなどは、あっても添えものだ。ところがピーターセンだけはどうもそういう感じがなく、自動車博物館として見ればいささか旗色が悪い。地味で、何やらわが交通博物館とか科学博物館のような生真面目さ、学校から教師に引率されてくるような学術的退屈さに充ちている。それは、有名スポーツカーがないからだ。あの華美で不道徳な、スポーツカーというものの輝きと興奮がない。

 もっともこれは、ピーターセンの責任ではなく、いわばアメリカ車全体の責任である。アメリカには有名スポーツカーがないのだ。第二次世界大戦で大西洋を渡ったアメリカの青年たちが、欧州には格好よいスポーツカーというものがあったぞと帰国してから夢中で語り、それでようやくポンティアックのスポーツカーなどができた。しかしこれらは大型車をベースに設計されていたから、それなりに派手ではあったが、ジェイムス・ディーンのような目のある青年には、本気で尊敬されることはなかった。
 それは、この国が開拓地であったこととも関係がある。国土の大半は田舎道で、ここに非舗装の道がひたすらまっすぐに延び、カーヴはというと常に九十度ターン、また海へ泳ぎにいくのも、山へピクニックにいくのにも、延々と長い距離を走らなくてはならない。こんな場所では車は大きく、室内はゆったりととり、ドライヴの疲れは最小に、コーナリング性能などはそこそこでよい。このような発想で発達してきたアメリカ車が、若者に要求されてスポーツカー仕様になっても、いきなり小さく、丸くなることはできなかった。欧州産のスポーツカーは、小さく、タイトであることで、ドライヴァーとの一体感を作りだす。
 まあごく乱暴にいうと、ゆったりと大きいことが、アメリカにあっては自動車だった。アメリカ車は、最近までずっとこの考え方でやってきた。そしてLAのような新型の都市を創りだし、支えるという功績を残したが、自身はというと、いいところ洗濯機や掃除機のような日用機械の地位に留まって、ブランドとなることはなかった。だからここピーターセン博物館は、日用品展示館の真面目さに支配されてしまって、ここに人を呼ぶためには、それらがこんな有名映画に出て、こんな美人女優さんを乗せましたと宣伝するしかない。
 とはいえその日用品は、ローマ帝国が雄大なモニュメントを欧州のあちこちに遺したように、車好きには小馬鹿にされながらも、今ではアメリカ人さえ持てあまして乗る者がなくなった、歴史上どこの国でも作らなかったような大きくて平たい自動車を作った。絨毯のように目いっぱい地面に広がり、飛行機のような羽根をピンとお尻に立てた、馬鹿馬鹿しくも立派な魔法の絨毯だ。ピカピカと真っ赤なこれもまた、古きよきアメリカのモニュメントとして、この博物館の見どころである。

 

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