サロメの物語は、以前「アトポス」にも書いた。古代ローマの時代、ガリラヤの地を支配するヘロデ王に嫁いだヘロデア、その連れ子のサロメは、美しく成長して踊りの名手となる。
 新しい父にも、陰謀家の母にも馴染めないサロメは、ヘロデ王とヘロデアとの婚姻を不義だと批難し、獄につながれているヨハネに次第に惹かれていく。しかし思いをうち明けるサロメに、ヨハネは拒絶の言葉をかける。
 サロメは、7枚のヴェールを次々に脱ぎ捨てる官能的な踊りによって、好色なヘロデ王の歓心をかうことに成功する。褒美は何をやろうかと持ちかける王に、サロメは「ヨハネの首を」、とささやく。
 新約聖書に取材した有名な物語で、昔から多くの踊り手によって、繰り返し演じられてきた。「アトポス」ではレオナが踊っていたが、映画の黎明期、青木鶴子が踊ってハリウッドのスターとなり、川上歌奴が日本で踊って女優第1号となった。
 会場で買ったパンフに、比較文学の井村君江氏のサロメ研究のエッセーがあり、これがあまり知られていない貴重な情報を含んでいたし、また共感できるところがあって、印象に残った。
 甘やかされて身勝手な「サロメ」の名は、皮肉なことに、ヘブライ語では「平和」を意味している。高名なサロメの物語は、新約聖書中の福音書、「マタイ伝」とか「マルコ伝」が伝えるエピソードから来ている。しかしここには、「ヘロディアスの娘」という記述があるだけで、サロメの名は書かれていず、また事件も、ユダヤの王ヘロデの誕生日に、王妃ヘロディアスの娘が舞を舞い、その褒美にヨハネの首を所望して、与えられるとこれを母に手渡した、となっているばかりである。ここでのサロメは、母親の言いつけを忠実に守っているばかりで、ヨハネに恋をしたり、それがかなえられなくて、恋心を一転憎しみに変化させたりもしていない。
 では史実はどうかというと、歴史家フラウィウス・エセフスの「ユダヤ古代誌」には、ヘロディアスの娘サロメと、ここでははっきりと名前が明記されている。しかしこのサロメは、ピリポと結婚したが24歳で未亡人となり、アリストプロスと再婚し、 3人の息子の母となって平和な生涯を送った、とのみ書かれていて、王の誕生日に舞いを舞ったとも、ヨハネの斬首刑に関与したとも、いっさい書かれてはいないそうである。
 少女サロメに、7枚のヴェールを脱ぎ捨てさせて全裸にし、ヨハネに強引な恋をさせて、あげく彼の生首を銀の盆に載せて狂気の踊りを踊らせた張本人は、アングロ・アイリッシュ系の作家、オスカー・ワイルドである。彼のひと幕ものの舞台、「サロメ」が世に現れて以来、そしてワイルド自身は気に入っていなかったようだが、これを描写したビアズレーの絵画が、世の人々がサロメを思う時、即刻瞼に浮かぶ強烈な残像となった。
 しかしワイルドの戯曲では、ヨハネの首を銀の盆に載せて舞ったのち、サロメはヘロディアスの願いによって王宮を追放され、砂漠をさまよったあげく、真冬の川に転落する。張っていた氷が割れてサロメの頚部を直撃し、切断された彼女の頭部は、ルビーのように赤く染まった水面を、氷に載って下っていく――。こういう因果応報の、二重斬首の物語になっていた。しかしサロメの斬首などの後半は舞台に載せづらく、実現しなかったため、ヨハネの霊が彼女に報復するエピソードは世に忘れられた。
 強烈なサロメの物語、そしてホモセクシュアル事件などによって、スキャンダラスなイメージの強いオスカー・ワイルドだが、彼はまた、貧しい人たちに心を痛め、自身の体を被う金箔や、目に填まった宝石を次々に燕に運ばせて救う、「幸福な王子」の作者でもある。自身は醜い金属の塊になってしまう王子像、南に渡る群に遅れて、像の足もとで凍死していく小さな燕もまた、彼のペンから生まれ落ちた。



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