毎年11月の第4木曜日は、アメリカでは「サンクス・ギヴィング・ディ」、つま り「収穫感謝祭」と呼ばれる祝祭日である。この日、アメリカ人は収穫物、特に食物 に深く感謝し、ターキーすなわち七面鳥を食べる。 街に出てレストランに入ると、 この日はいろんなレストランにターキー・ディナーが置いてあるから、嫌でも食べる ことになる。そうして店々は早くに閉まるから、まごまごしていると食いはぐれる。
 しかしターキーという鳥の肉の料理は、毎年思うことだがうまくない。無味乾燥 で、いいとこ二流のハムのようである。鳥がその姿かたちのままで出てくるような料 理ではなく、ハムみたいにスライスした平たい肉が、一枚か二枚皿に載って出る。そ れを平らげたら、もっと欲しいとは絶対に思わない。こちらで割とよく行くバフェ形 式(ヴァイキングのこと。ビッフェとかヴァイキングというのは日本語なのであろう か?)の郊外ストラン「シズラー」で、この日、ぼくもランチにターキー・ディナー を食べた。
 お昼にデイナーというのは、日本人の感覚ではおかしく聞こえるかもしれない。 ディナーという言葉は、「豪勢な夕食」というニュアンスで日本には伝わっているか らだ。しかしこれは誤解で、ディナーとはその日で一番大きな食事のこと。だからお 昼に食べてもディナーである。日本人はどこの家庭でも夕食が一番豪勢なので、そう いった意味に変化したのであろう。こちらでは、夕食は毎日軽くすませるという家庭 もたぶんある。
 調理の時にターキーの腹に詰めていたパンも、皿の傍らに載って出てきたりする。 これがまた、さしておいしいとは思わない。シズラーのターキー・ディナーは、これ にグリーン・ビーンズ、渇いたパン、それにジャムなどがついているからまだ食べや すいが、もっとずっと味のとっつきの悪い店も多い。
 どうしてこんなおいしくないものを、アメリカ人は11月の終わりになると食べるの であろうと思っていたが、由来を聞いて納得した。これは言ってみれば、「まずいこ と」に意味があるのである。以下はぼくの理解であって、あるいは間違っているかも しれないが、アメリカの「収穫感謝祭」のいわれは、こういうことだった。

 1620年、メイフラワー号で今のマサチューセッツ州プリマスに上陸してきたイギリ スの清教徒たちが、最初の収穫物を神に捧げて感謝したのが「サンクス・ギィヴィン グ・デイ」の始まりらしい。その後アメリカ全土にこの習慣が広まり、アメリカの祝 祭日として固定した。
 何故ターキーかというと、当時のアメリカ大陸にはまともな食料がなく、最初の開 拓団たちは飢えてしまって、やむなく野生の七面鳥、つまりターキーを捕獲して食べ た。ほかに食べ物などは見当たらなかったからである。生死の境で、味のよしあしな どは言っていられなかった。
 だから新大陸上陸当初の苦労を忘れないため、アメリカ人は毎年ターキーの肉を食 べることにした。日頃の飽食への自戒であり、開拓時代の苦労を忘れまいとする気持 ちからなので、むしろまずい方がよい。だからどんな高級レストランでも、この日の ターキー料理は、さしてうまくは作っていないのであろう。「サンクス・ギヴィング ・デイ」とは、世界に共通した習慣ではなく、開拓地アメリカに独特の祝日なのであ る。

 「シズラー」というのは、鉄板の上で肉がじゅうじゅう焼けてはじける音のこと。 開拓地アメリカらしいネーミングである。しかしここの売りは、肉というよりバフェ 形式のサラダバーがうまい。アメリカには、みなが好きなだけとってきて食べるこの バフェ形式が多い。
 狩猟のDNAを持つ民にとって、食料とは一定量を捕獲したら、あとは増殖のた め、放置するものである。だから狩猟は、残業に継ぐ残業というかたちで労働をして も意味がないし、組織的に徹底して獲り尽くせば、獲物は壊滅で、収穫は永久に終 わってしまう。
 一方農耕民は、働らけば働くほどよく、労働量や組織の規模に比例して収穫は増え ていく。こういう民は残業発想型であり、組織拡大型である。収入は10円でも1円で も多い方がよいからだ。
 こういう民なら、バフェ・レストランがオープンすれば、テーブルの下にタッパー を隠し持ち、せっせとサラダを詰めては家に持ち帰るという勤勉ぶりを示すであろう か。これはたまらんと店は値段をあげ、結果、来訪客は大半タッパー持参となる。
 禁止をするから大増殖。そこでますます罰則を重く。これがわが農耕日本の近代史 である。こうして世界に冠たる喫煙国家、世界第二のマイカー所有国、世界第一のヘ アヌード産出国は、あっという間に急成長した。こういう勤勉な民には、「勤労感謝 の日」はあっても、「収穫感謝の日」はない。収穫に感謝などする必要はない、これ は自身の労働量による、大威張りの正当獲得物だからだ。


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