死穢

 日本の民俗史のきわめて重大な要素に、「穢(けが)れ忌避」という行動原理がある。退職する上司が、愛用の茶碗を部下のOLに譲り、これは由緒正しい逸品なので、よく洗って使うようにと言ったとしたら、アメリカのOLならこれを実行する者も出るが、日本の場合まず出ない。科学検査には現れない上司の体質的な汚れが染みていると確信するためで、検査には現れない、しかし日本人には厳然と信じられるこの汚れが、「穢れ」というものである。
 日本人に特有のこの強烈な潔癖感性が、割り箸を創らせ、寿司や刺身という鮮度の料理を生み、毎年張りかえる檜風呂趣味を育て、日本酒を作り、各方面の新品志向を生み、世界に冠たる半導体や、もの作り技術における圧倒的繊細さを生んだ。黎明期のわが天皇は、代が変わるごとに首都の遷都さえ行ったが、これも先代という他者の治世で染みついた「穢れ」を嫌ったゆえで、こういう時代の名残は、今でも代ごとの年号変更制度に遺っている。

 穢れのうち、その汚染度が最も深刻なものが動物の血液による「染み」とされ、わけても殺害した際の出血は「死穢」と呼ばれて、最も危険なものと考えられた。その汚染力の強烈さは呪術的な意味あいまで生じ、不治の病を誘導すると信じられ、よって万難を排してこれを遠ざけることが、原因不明の難病や、精神病を遠ざける秘訣と考えられた。病原菌や、各種病の理由を知らなかった時代の迷信であり、これが「穢れ忌避」と呼ばれる、わが土着の信仰である。
 上代、わが国では殺人を含むすべての悪業は、人に取り憑いた「悪霊」が引き起こすと信じられており、この「悪霊」と「穢れ」とは、語義がほぼ重なるものであった。ために犯罪者には、罰則を課するのでなく、禊ぎや払いによって「悪霊」たる「穢れ」を払い落としてやれば、社会に復帰させてよいとする考え方が市民権を得ていた。
 のちの懲罰主義に先行する教育刑発想と理解し、これを評価することも可能だが、この発想は、禍のもとたる出血の穢れを、少々の理不尽には目をつむってでも社会から遠ざけようとする日本型道徳を生み、この道徳観念が高まった時、ついに世界に例のない残酷を生みだすことになる。
 この制度の原理は単純で、動物を殺して出血させる者を、でき得る限り一般者の生活圏から遠ざけることに尽きる。これには、これから出血させる可能性のある者、また過去出血させた経験がある者も含む。続いて彼らに接する時間をできる限り短くし、婚姻はむろんのこと、友人づき合いなど、深い関わりは決して持たないようにする。さらには、あらゆる出血現象には専門の職業人を用意して、彼らだけでことの処理にあたらせる。すなわち、「死穢」を一定地域から決して外には漏れ出させないようにする、一種の衛生観念である。
 殺害の血液に接する者には「死穢(しえ)」がとり憑くから、これを日々の生業とする者にはすでに多量に「死穢」が憑き、体内に染み込んで救いがたく病の因子を抱え込んでいるはずであるから、こういう者と体同士を接触すればむろん移り、その上空気感染まですると信じられたので、過去の日本人一般は、ちょうど外出後のうがい、手洗いを励行するように、この差別に勤勉になった。
 この考え方から、動物の殺害に日常的に関わることになる太鼓製造業者、三味線製造業者、皮革製造業者などは、一定面積の地域に押し込められ、衛生処置にも似たかたちで隔離された。一般人はこの地域に近づくことを禁じられ、当該職業人はこの地域から出ることを禁じられ、そうして両者の接触は、考え得る限り最少、最短時間とされたを これが「同族差別」として世界に名高い、被差別部落の発生である。世界中に数ある民族差別は、異人種、異言語、異宗教、あるいは異なった民族成立神話や民話を持つ民族間で起こるが、日本人のこれの場合、同人種、同言語、同宗教、同神話の者同士で発生しており、差別の根拠は、強烈な道徳観念というのみである。 同種の差別発想は朝鮮半島にもあり、殺生を生業とする職業人を「白丁(ペクチョン)」と呼んで、一般生活圏から隔離した歴史がある。

言霊と検非違使

 すべての「死穢」の内で最も深刻なものは、人を殺害した際の「死穢」である。人間を死にいたらしめた血は強い呪いを持ち、これがついた生命体をついには滅ぼすと古代人は信じたので、この「死穢」からの逃避こそは、知的上層階層にとって最重要の生存条件となった。そこで平安公家政府は、殺人の可能性を持つ職業人と完全に接触を断つため、軍隊と死刑制度の廃止までを英断するのである。 当時の温暖な国際情勢がこれを可能としたが、それでも侵略の脅威は去らない。軍事力を廃したのちに公家政府の考えたこれへの対処は、徹底して和歌を詠むことにより、清らかな言霊で国内を充たすという方法であった。和歌の才があり、選民たる自分らが口にする「和平」の言霊は、実際にそれを具現する強い霊力があると信じた。 しかし都の治安はそれでは守れないことが解っていたので、検非違使という治安警備と清掃を受け持つ一種の警察集団を置く。しかし公家階層は、清掃も行うこの者たちの身の汚れを嫌い、彼らともいっさいの接触を断とうとして、彼らを「令外官」とした。すなわち、公的に役人の地位を与えなかったわけであるが、与えれば部下となり、自分との関係が生じて「死穢」が移る危険があるたと発想したためである。このため検非違使は、自身の地位は自らが作りだすほかはなくなり、絶えず大衆威圧を行うことで立場を保全する習性を持つにいたる。これがやがて、荘園警護のために発生する武士集団に合流していく。

 この武士集団が、武力を放棄して安楽怠惰に逃げ込んだ公家から政治の実権を奪うことになり、武家が為政者となったのちは死刑が公的に再開するが、戦国を経て泰平の世が訪れると、死刑は儀式として整備され、細部の人員までが決定され、ある者は世襲制となって制度化していく。
 受刑者の引き廻しに随行する者、処刑者を磔柱に縛りつける者、殺害した彼らの首を刎ねて獄門に晒したり、埋葬したりする者、また受刑者の体を押さえたり、受刑者の首を前方に伸ばさせるため、後方から足指を引いたりする者、刀の試し切りに供する刑死者を運んだり、砂場に据えつけたり、執行のためのさまざまな手伝いをする者などは、すべて非人という、被差別階層出身者たちに行わせる決まりとなった。これもまた、「死穢」に接する者は、死穢をすでに体内に保持する者から選ぶという、一種の衛生観念である。
 しかしここには奇妙な論理矛盾がある。死穢が実在するのであれば、動物の殺害者より、人間の殺害者がより呪われるはずである。そして人間の処刑において、死穢が最も深く染み憑く者は、そばで手伝う者ではなく、実際に刀を奮って罪人の首を刎ねる執行者自身のはずである。
 ところが軍人に代わって都や一般社会の治安維持にあたった検非違使、のちにこれと合流した武士、あるいは罪人の死刑を執行する首斬り役人や、近世の軍人などを含めても、特権階級を形成して民の上に君臨しこそすれ、彼らが差別された形跡はない。
 これは死穢同様、彼ら自身に強く恐怖したゆえである。宗教が軍事力をコントロールした歴史を持たない日本においては、軍人が常に封建身分制の最上位に君臨し、周囲や足下に絶えず強い威圧感を醸して見せた事情が大きい。死の穢れに畏怖する繊細な民は、人為的威圧の恐怖にもよく怯え、このような論理破綻には簡単に目を瞑った。また儒教には、この種の事なかれを容認奨励する側面がある。
 この観察は、日本人を理解する上で、決定的に重要である。すなわち軍事力という上位者は、日本社会においては、威圧という勤めを怠ればたちまち差別を受ける危険を持つ者たちであった。わが特有の宗教観と道徳観念ゆえ、一般から強い差別を受ける下層職業集団が日本には存在することになったが、この被差別階層は、右の上層武装集団の日常態度を範として、差別に抵抗する手段の存在にも気づくことになる。
 自身に起こるであろう差別への予防としての威圧言動、暴力の行使、これは被差別階層者には、保身上切実に必要な行為であった。このような愚劣な暴力構造もまた、日本社会の不完全な階級設計の裏面には発生し、存続することになる。

 出血を伴う場所の多くは、このようにして日本社会の裏面となり、被差別階層出身者の領域となって、彼らの罵声が飛びかう恐怖演出の場所となる。出血と威圧とは、このようにして日本では表裏の関係となり、太い系流となって今日にまでいたっている。
 北海道以外では、精肉解体の現場に一般人は立入れないという掟が、日本には今日でもある。この職種には、過去被差別階層出身者が多く就いたためである。無理に入れば被差別者を差別したとみなし、その非人情に対して反省を求める暴力に遭遇する。彼らのいわれのない積年の辛苦を思えば、この不合理に対して誰も改善を言いだせない。
 「屠殺」という文字を文中に用いただけで、その文筆業者は自動的に被差別階層を侮辱したと見なされ、この非人情に対して厳しい糾弾が加えられるが、彼が格別差別主義者でないことは全員が知る。しかし、誰もこの不合理な行きすぎに是正を言いだせない。
 医学が進歩し、ウィルスやDNAが発見されて「死穢」の迷信が根拠を失っても、あるいは失ったがゆえに、愚劣な差別からの反動で生じた別種の愚劣が、幼児社会の幼さで堂々とまかり通っている。これら慣習的な被威圧の不快が、過去に対する一般人の反省を上廻り、結果として、世界に恥ずべき同族差別は今日も撤廃されていない。

出産の失血

 日本人の出血現場を検証していくなら、どうしても避けて通れないタブーがもうひとつある。出産である。出産は、海外のそれと比較すれば、日本のものはあきらかに異質であり、穢れの現場と通底する。
 古来からわが国では、出産は女性の専用事であり、男は関与も言及もタブーとされてきた。一方アメリカなどでは、夫が積極的にLDR(陣痛・出産分娩・回復室)に入ることが求められ、いっさいのタブー視はない。
 アメリカの産婦は、現在産院内のLDR(陣痛・出産分娩・回復室)での分娩が主流となっている。LDRとは、分娩や治療のための設備のほか、シャワー室や、ヴィデオとTV、あるいはリラックス用の音楽が流がせる装置が用意された、分娩用の個室のことである。子供連れの家族友人が訪れた時のための部屋も、隣接していることが多い。シャワールームでは、、夫が妊婦の背や腹部に温水をあててやって、陣痛の到来を促す。分娩したのちは、妊婦はそのままLDRで二時間程度の仮眠をとり、体力回復を待って一般病棟に移動する。そしてここで保養して、翌日には退院する。帝王切開の場合も、3日間ほどの入院が通常である。
 日本の出産も、LDR使用が増えてはいるが、出産後は一刻も早い一般病棟への移動を希望する患者が多いようである。そして一般病棟に1週間程度の入院、帝王切開の場合は2週間程度の入院、としているのが通常のようである。
 この両者の比較は、料金体系の問題、保険の問題等があるので、こういう様子がそのまま日米の産婦の好みや病院側の考え方を反映しているとは言えない。しかし多くの日本人産婦やその家族は、分娩した場所に長居することを好まず、出産翌日にはまだ退院はしたくないと考えるようである。これが日本人には常識となっており、日本にLDRを根つきにくくしている一因でもある。

 太平洋海洋民のうちには、女性の生理の出血を、一時的に悪霊が取り憑いたゆえと見なし、災いが一族全体に及ばないよう、出血がおさまるまで「忌み小屋」に隔離する習慣を持つものがあった。太平洋海洋民族の一員たる日本人にとっても、生理の出血は単なる羞恥心を越え、忌むべき不浄としての暗い気配がある。
 この種の発想は世界中の民族に多かれ少なかれ存在はする。たとえば欧州では、生理中の女性が触れたブドウ酒、牛乳、パン種は、酸っぱくなるとする迷信があった。しかし太平洋民族ほどの強い忌避感はない。
 生理中の女性を隔離する「忌み小屋」を持つ民族は、出産に関してもたいてい「産小屋」を持つにいたる。ここはいわば不浄の家であり、土地によって21日間とも、75日間とも定める産の忌の間、あるいは産後も持続してここに篭もることを強要する風習が、明治のなかばまで日本にも遺っていた。こうした民族的記憶が、LDRを「産小屋」と見立てさせ、ここへの宗教的不浄感、また隔離強制という恐怖の記憶が、一刻も早い産室からの脱出衝動を、日本人産婦に起こさせている可能性はある。
 日米の出産風景の相違をヴィデオで観たことがある。アメリカでの出産が、医者看護婦がうち揃い、「プッシュして、もっとプッュして、ビューティフル! とてもいい仕事ぶりよ」、などと日常口調で励ますことに較べ、日本の看護婦と医師の方法は、産婦の不手際を徹底して叱り、「何をしているの、もっといきみなさい、もっといきみなさい!」、と激しく威圧するものであった。それはさながら他者の穢れに身を晒させられた個人的怒りのゆえとも見え、熟年看護婦の冷えた罵声と、屈辱と苦痛に泣く若い妻の嗚咽が分娩室にこだまして、さながら中世の「産小屋」にタイムスリップしたようであった。
 産婦に早く母乳を出させるため、生まれたばかりの赤ん坊に水しか与えず、「早くお乳出さないと、あなたの赤ちゃん死んじゃうよ!」と脅迫を行うことを方針とする公立病院も、過去の日本には存在した。リラックスが得られなくては母体は48時間以上母乳を出さないので、このような方法は不合理であるが、この威圧もまた、わが隔離小屋の伝統と思われる。
 これらが出血を伴う場所の、近年までの日本の現実である。出血ゆえ、一般社会から遠ざけられた歴史を持つ出産の現場もまた、被差別階層者の出血をともなう仕事の現場と似て、威圧の衝動が潜在しやすい。
 出産が長く「穢れ」ないし「不浄」の範疇に留めおかれたことは、被差別階層を発生させる一方で、男性上位社会形成の根拠にもされた。日本社会には、出血の体質を持つ女性が、伝統的に立ち入りを禁じられた神社神殿とか、大相撲の土俵などが今日でもある。
 出産行為への気軽な夫参加は、女性の出血を不浄と見るわが社会の悪習を否定し、これへの反動で起こる女性側からの男性嘲笑を減少させ、出産の出血の肯定が巡って、日本社会に未だ温存されている同族差別の原理をも危うくする効果が期待できる。 また夫参加が、出産医療技術の一般への情報公開をもたらすなら、儒教に強制された医師の日本型特権意識や、これを守らんとする威圧気分をも解消の方向に向かわせられる。医師界全体がこれらを放棄しないでいては、被差別階層者に象徴的に見られたように、患者の側に対抗の気分が用意され、両者に友情でなくストレスが育つ。産の忌の間の伝統を引くわが産後一週間の安静期間は、分娩自体の疲労回復というより、産小屋の威圧ストレスからの休息が疑える。
 このような日本の出産の歴史は、平成の今、多くの妊婦に帝王切開を希望させ、医師側も妊婦側も伝統的威圧か、一転この反動としての丁寧対応か、といったふうな危機をはらんだ接触を嫌い、むしろ陣痛促進剤を用いるビジネス・ライクな出産に向かわせる危険もある。

 出産という出血の現場と、被差別階層との繋がりは、今日でも見受けられる。出産は胎盤(ルビ・プラセンタ)の排出を伴うが、胎盤というこの不浄物に、火傷などの損傷をすみやかに治癒する能力があることはよく知られる。ゆえにここから抽出されるプラセンタ・エキスは、化粧品、温泉のもとなどに広く使用されるので、産科病院は、産婦が排出した胎盤を冷凍保存しておき、回収業者に売却することが多い。この回収業に、現在も多くの被差別階層出身者が就いているといわれる。そしてこの事実は、現在も隠蔽される。
 海外産の化粧品には、他人のプラセンタから抽出したエキスが配合されていると明記されるが、日本製品では隠される。過去、この成分が問題となって社会問題化したため、メーカーは人間のプラセンタを使用していても、牛のものと明記するようになったいきさつがある。
 問題となった背景には、人間の排出した胎盤のような穢れたものが化粧品に混入されて売られていたという、日本人の潔癖感性ゆえのショックが前提となっていたが、追求の論旨においてはこれが遠慮され、人間の胎盤のような神聖にして侵すべからざるものが化粧品に使われていた、とする嘘の行儀論に終始した。プラセンタの効能が広く了解されていても、産小屋の歴史を引いた日本人の出産への思いは、依然鬱屈している。

 

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