平成12(2000)年
光文社・シェラザード財団、ミステリー文学新人賞、審査メモ

 


 

 全体的に手堅く、リアルなストーリー展開が目指されているものが多かった。文章や言い廻しもよく練習されていて、取材や専門部分への勉強も行き届き、登場人物もリアルで前半の展開は信じられるが、後半、読ませ所と心得られているあたりでは、劇画的な活劇とか、ヤクザ映画的な行動パターンに依存した犯人像、また主人公像が感じられ、この部分がリアリティを欠くので、多く前半部と後半部とが構造的に対立して感じられた。そういうことなら最初から遠慮せず、もっと面白くしてもいいのではと感じる。
 これは最近の新人賞応募作品に共通する傾向に思われるが、新しい小説とか、新しい方法が見あたらないように思われた。骨組みの部分では新しいものを造ろうとする意欲がなく、肉付けの部分で、取材や勉強などの手堅い努力によって好印象にしあげようとする傾向。そして劇画や映画の手法を借りて後半を派手にし、着地を決めようとする傾向。
 面白いエンターテインメントのためには、少々のリアリティは無視する後半を志すなら、いっそ根本部分から徹底した知的操作による本格ミステリーの人工性構築をもくろむとか、一転現実の日本の犯罪を研究して、徹底してリアルな犯人像による現実的な犯罪小説を描出するなどの、もう一歩を踏み込んだ試みに接したい欲求不満は残った。構成要素の多くがパターンに依存されていると、どれほど派手に仕立てられていても、逆に華が感じられなくなる。


漂流者よ、目を覚ませ
田島 歩

 すべてに水準的達成があったと思う。日活映画を見るような展開のストーリー造り、主人公の造形、親友の刑事の死、そして別れた恋人などによる心の傷、主人公の背負う過去、すべてパターンではあるが、そこそこ上手と思われる。昔の恋人との再会、巻き込まれ型で主人公が追求していく事件の謎もなかなかよく考えられており、女子大生絵里のキャラクターもそれなりにリアリティがあって、そこそこの魅力がある。
  天粋会内部でのスリルあるかけ引きも、リアリティはないが、そこそこ手を汗握る感じはある。続く銃撃戦も、リアリティはないが、それなりによく裏が考えられている。
 ラストにのみ突然リアリティが現れて、主人公は絵里とも誰とも結ばれず、夢も希望もなく、なかなか後味が悪い。結末のみ、突然映画的な夢見をやめて現実に目を覚ます感じ。作者の言いたかったことはこのあたりかもしれないが、面白い結末とは感じなかった。



脂肪の塊/悪い夢
松本直樹

 今日的な事件が、それなりに達者な文章で書かれている。藤枝に見る小児性愛嗜好も今日的な素材で、前半の狂気の描写は、劇画的ながら、それなりにリアリティがある。
 息子の性的な不始末を助ける父親の刑事永峰、彼の計画も劇画的、映画的で、リアリティはないが、それなりに意表を衝く。息子、性の遊びで女を殺してしまうというのは、このようなあり様では少々信じがたい。また、息子の言を簡単に信じてしまう現役警察官の父親も、少々意外な感じがする。作者には、ここはもう少し別の理由が必要と言いたいし、作中の父親には、息子の殺意の存在を疑うべきとも言いたい。また別の理由で殺してしまった女を、息子がそのように言っている可能性も疑える。
 息子をかばう計画を完遂するため、汚い手を使って藤枝、秋月を射殺する永峰だが、このあたりの思いきりは、活劇重視のわが劇画的というよりも、ハリウッドR指定映画(『LAコンフィデンシャル』など)的か。しかしこのやり方では、秋月の指にかかったガン・パウダーの量が少なくなり、鑑識が真剣に調べるなら、トリックが露見する可能性もある。またこういうケースで、永峰が相棒なしで現場に単身入れる可能性は低い。また助けられた永峰の息子が、以降何の問題も起こさずにいられるかも疑問。少なくとも父親永峰は、この点を心配すべきに思われる。それら真相露見の予兆がいっさいなく物語が終わるのは、少々不行き届きの感も残る。
 このような汚い手を使って藤枝を殺しておいて、夫のもとに行ってやらない妻を道徳的に説教する永峰の様子には、警察の正義感などこの程度のものという作者の主張がありそうだが、このような作者の挑戦意識はここで突然現れるので、バランスの悪さと、後味の悪さを感じた。モラルなきどろどろの現代というものを表現したかったのなら、前半部分をもう少し違う書き方にできたように思われるし、これをどんでん返しとして読ませたいのなら、前半でもっと伏線を張って欲しい気はした。


盲信
菅野奈津

 文章力は最も安定して感じられた。意識もおとなのものとしての安定感があった。
 ひとり娘彩を殺した犯人を捜す、もと銀行員杉山亮吾と、失踪した妻を捜している捜査一課の刑事上条という二つの人捜しストーリーが並行して展開するが、この両者は根本から絡むことはない。現実はこんなものと思うが、このような仕掛けを構想して語りはじめた物語としては、ややもったいない感じは残った。
 作中、犯人の車の車種、年式、色などが判明すれば、すぐに車の所有者に行きあたるのではと感じた。
 しかし杉山の造形、弁護士の南原幹夫の造形、杉山が学生時代に別れた弁護士の由利、上条に、出奔した妻の須磨子、それぞれの人間に、信じられる感じがあって、水準以上の達成に思われる。
 けれども後半、辻村という犯人像において、この作品でもまた劇画的な、すなわち活劇最重視の、当事者の背後にあるはずの現実事情や手続きをあまり考えず、刹那的ですこぶる演劇的な、というような意味だが、日本型の刹那威圧的、特権的な悪漢が現れて、前半の手堅い、現実感覚重視のポリシーと対立するように思った。
 犯人が、自分の犯行を杉山に堂々と匂わしたり、お茶の水の路上で杉山を襲えるようなスーパーヒーロー的強者なら、外国に高跳びするなり、前半から杉山の行動を脅迫によって牽制するなりの挙に出るようにも思われる。すると前半がもっと謎めいた波乱のものになったようにも思われる。逆にこの前半からの発展なら、犯人はもっと狡猾でおとなしく、弁護士の由利や、法律を活用した保身の立ち廻りを見せるように思われた。
 辻村に夫の秘密の多くを話した由利は、弁護士らしからぬ愚かさで、辻村との仲が疑える。とするなら、犯人辻村にとって法律家の由利は、もっと利用価値があったと思われるが。
 不満は多々残るが、総合的な達成度は上々に思われる。


熾闘(しとう)
成定春彦

 もっとも劇画的なる要素が多かったものがこの作品。その理由としては、暴力団各組員の言動の描写、石原のキャラクターの漫画的造形、松下聡の幼児的な造形、主人公の冴木蔵人への手放しの賛辞、議論無用の理想化描写、昔死なれた恋人に似ているという理由だけで、自社キョーシンを壊滅の危機にさらしてでも松下早苗を助けたいと思う冴木の青さ、しかしこの判断への社内からの反発が皆無であること、さらには早苗の、自我を喪失したふうの男性向きお人形ぶりとか、美人でスタイルもよく、金も地位もある彼女に、何故か男が一人もいないらしいこととか、地位も名誉も金もあって非の打ちどころのない男ぶりの冴木にも、これまで言い寄ってきた女が一人もないらしいこと、さらには何の血縁もない早苗と、死んだ涼子の顔が瓜二つであったらしいこと等々、リアリティ無視の、いかにも信じがたい描写が続くせいであるが、しかし作者の職種ゆえか、会社買収劇の細部などはよく取材、また把握されており、ドラマの展開もうまく考えられている。主要な事件が起こるにいたって大いに説得され、クライマックスではそれなりに興奮させられた。
 全体の構造はきわめて単純明解な作りであるが、それ故に、また金融業界の裏面の蘊畜にもよく後押しされて、最も熱い作品に仕上がっていた。あれこれ迷わず、剛球が一直線に投げ込まれた印象で、作者の意図もいたって解かりやすく、クライマックスの第二回の株主協議会での攻防には引き込まれた。こだわれば、大道会にも京阪電鉄にもまだ打つ手はあったように思われるが、これ以上やるとどろどろになってしまって、明解さが失われるのであろう。全応募作中、最も読みやすく、後味のよい作品であった。作者の青さも目立つかわりに、それを補うだけの単刀直入な面白さがある。
 この作品は構造が単純であり、作者が若いゆえもあって、内包する思想にも熟成感はない。また新しい小説としての要素はなく、これまでの同種の小説や、漫画世界の踏襲で、それらを越え、方法論を前進させた要素も乏しい。世に出すことで、状況を前進させる効能も低いかもしれないが、有無を言わさぬこの作者の若い熱気だけは高く評価したい。このイモーショナルな熱気こそは、小説書きに最も大事なことであるのかもしれない。
 他候補作品が、前半はリアルなおとなの小説をと志し、後半劇画調になって破綻していたのに比し、この作品だけは最初からそのような迷いがいっさいなく、冒頭から徹底して劇画調を貫いた潔さがあり、その分作品の温度が高い。シンプル・イズ・ベストの熱気を買いたいこと、また今年は他候補作品が低調であることから、今回はこの作品が最も授賞に近いものと感じた。

 

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