平成14(2002)年
光文社・シェラザード財団、ミステリー文学新人賞、審査メモ

 


 

 今回は、この賞の選考委員になって以来、最も充実していた。暴力型冒険小説二編 と、洒脱な青春推理一編という組み合わせであったが、そのどれもが、それぞれが属 するジャンルで一級の達成を持っていた。先の二編に関しては、事件を何作分も積み 重ね、構成を徹底して凝って濃い仕上がりとしたものだったし、最後のものは、占い 師の蘊畜や思考を物語進行の中心に据えるという、それ自体、小説の行き方として目 新しい方法を持っていた。しかしそれゆえ、以下で語りたいことも多くなった。




鏡像
河野達哉

 最後まで面白く読めた。他の二候補作、それからこの賞のこれまでの傾向もそうだ が、とげとげしい暴力小説、やくざ口調の威圧小説が多いので、がらりと傾向の違え た、もの柔らかな口調によるこの作品は、一服の知的清涼剤的な効能があって、その 意味でも心地がよかった。
 候補作の中に、このくらいこちらを読者にしてくれる作品が入っていると、作業が 楽しくてまことに嬉しい。感覚的にも、小説の方法としても、新しさを感じさせる要 素があり、誘拐ものの範疇ではあるが、その趣向のサスペンスの定型にはなっていな いことも気に入った。
 主人公は、自分をイカサマ占い師とさかんに卑下するが、彼の勉強家ぶり、客対応 の真摯さ、また相談者の立場に立っての俯瞰的な言動、さらには鑑定料の安さ、どの 角度から見ても「よい占い師」というべきである。
 この占い師の人間観察眼、また日本社会観察眼は、ユーモアにくるんで口あたりが よいながら、充分に独自的のものに消化されており、自身もどこかで語っていたが、 ご託宣が結局は自身の能力誇示という、ゆるやかな威張りの範疇におさまる、例の定 番説教というふうが少ない。
 文章の言い廻しも洒落ていて、くどさもなく、ごく淡々とした事件進行ながら、最 後まで飽きさせず、上手に読ませる。随所に共感、納得の把握もある。この人が才気 巧みな語り手であり、書ける人であることは疑いがない。この語り口になじめば、次 回作も読みたくなる。
 しかし読み進むにつれ、首をかしげる要素も出てきた。あえて言う気になるなら、 これはいくらも見つけられる。まずは自分でも言っている通り、シャーロック・ホー ムズばりの推理と人間観察眼が、思い切りはよいがいささか調子がよすぎて、このく らいの材料と推理で、飛躍を含む危ない断定が、全然はずれないというのはホームズ のもの以上に信じがたい。
 全体に青春小説的な軽さがあり、口あたりはよいが、脇役たちを、主人公よりわず かに能力の劣る、人生観の簡単な人物ばかりにして配したので、なにやら登場人物の 思惑がそろって軽すぎるような印象がくる。これでは女性たちはみんな横暴で見栄っ 張りで、思慮の足りない生き物だし、熟年サラリーマンはたいてい定番の問題を抱え ている。山添杏子などはほとんど精神病で、入院を勧めたくなる。
 現実社会の人、特に女性は、自身を道徳的善の位置に置くため、もっとずっとした たかに発想し、手続きし、行動するように思えるのだが。これも青春小説世界のゆえ ということでいいのであろうか。犯人も、ここまで徹底したただの馬鹿者でよいか。 まるきりワイドショーのレヴェルで、実のところ彼らにも、もっともっと言いたいこ とや、深い動機があったのではあるまいかと、少々気の毒な気分にもなる。
 饒舌な語り口にこちらが馴れてきて、次第に原稿が残り少なくなってくると、この 犯罪の構造が、おおよそ見当がついてくるのはやはり欠点と言うべきだろう。語り口 のうまさを自覚するあまり、こちらが走りすぎて、完全犯罪を目指しているはずの計 画とトリックが、いささか底が浅くなった。
 探偵役の江口が、解明が大詰めにいたった際、型破りなことには徹底的に文系の処 理を行う。聞き込みにより、疑わしい人間の生活態度、人生上の信念、あるいは周辺 の者の悪口の収集ばかりを行ってこと足れりとしてしまい、なにやら「ロス疑惑」の 時の週刊文春のやり口のようで、少々気味が悪かった。
 このままでは、愚かな若者たちがいかにも犯人と見えたが、それはイカサマ占い師 の妄想であって、やっぱり近所に住む第三者が犯人であったとしても、この物語は成 立しそうである。つまり刑事事件としての骨組みが、いまひとつしっかりと作られて いない。妄想者が占い師だからよかったものの、これが京都府警の人間であったなら 、またひとつ冤罪事件の発生ともなりかねない。自身の能力に自信を持つ者の妄想は 、最も危ない。
 今のところ犯人の自白が解決を支えているわけだが、法廷でこれを翻されると、裁 判はかなりやっかいだ。オカルト的な恫喝で自白を引き出すというのも、昨今警察が よく使う手口である。
 計画や、後半の詰めの手続きに、本格の推理ものとして見れば、いささかゆるいも のがある上に、身代金消失のトリックが、手続き不足で今ひとつミステリーに見えな い。現状では犯人の手のうちの誰かが、監視の目を盗んでバッグに近づき、こっそり と中身を抜いたか、同じ外観の空バッグとすり替えても成立するので、せっかくの物 理トリックが、充分な驚きを誘導しない。
 つまり、もっと監視を徹底させて、先述のことができない状況としてはどうか。た とえば現金入りのバッグを置いた現場駐車場だが、これを見取り図で詳細に示し、見 張りの車の位置とか、車中から見張っていた者たちの視線の角度などを具体的に図示 して、山添と浜口にもよそ見をさせたりはせず、徹底的に見つめていたのに何故か現 金が消失した、というくらいまで徹底した表現をして欲しい気はした。
 あるいはバッグの手提げ部分に釣り糸を結び、高林には内緒で駐車場の手摺りとひ そかにつないでおいたとか、駐車場の出入口には屈強で律義なガードマンを置くなど する。ここをマジックの見せ場と心得て、そのような厳重な条件下、衆人監視の中に も関わらず現金が消えたとしても、この仕掛けなら充分にもった。またこの仕掛けは 、そういうふうにすることを要求もしていた。何故このような手続きにしなかったの か不思議だし、もったいなかった。そうして、赤児の誘拐も、同様な消失トリックか と疑わせる構成にしてもよい。
 このようしても、占い師のホームズ的超能力誇示に陰りがさすことはなかったし、 現金入りのバッグを持ち、江田の運転する車の助手席に乗ってくる際の高林の動きの 描写も、もう少し徹底して語って、フェアプレーの伏線にしてもよいと思った。真相 露見の時、どうも釈然としない印象が残った。
 またドライアイスを直接詰めたバッグなら、煙が少し出たり、表面が結露したり、 薄い氷が白くこびりついたりもしそうだ。こういう部分にも、もう少し手当をすべき だろう。
 ダンボーラーのおっちゃんの紹介を、これほど結末部近くで行うのは、読んでいて いささかの違和感がある。やるならこれはもっと前方で行っておくべきで、事件解決 に直接はからまない人物の紹介が、いよいよ真相解明という緊迫すべき段階にのんび り現れるのは、やはり緊張感を削いだと思う。
 昌美を犯人と特定する理由が、以前に見た児童虐待の女性と笑顔が似ていたからと か、小さい生き物が嫌いだから、などという発想もあまりに杜撰で、情緒的で、典型 的に冤罪の構図である。これは占い相談者の背景当てのような軽いものではなく、長 期懲役刑がかかった重大問題であるから、こういうものを判断の引き金に使うのはよ いとしても、本気で言ってもらうといささか危ない印象を持つ。
 ここはやはり基本に忠実に、トリック行使の現場への被疑者の不在証明とか、電話 の声とか口調、要求内容の追求と推理、自分たちを見張れる位置の者の調査、赤児消 失の経緯を、夫婦に聞き込んで徹底追跡する。またこの時に夫はどこにいたのか。ま た、現金消失の謎の論理的な解明、ドライアイス調達の店の特定とか、これを行った 人物の確認、などなどといった理系的、物理的な発想で攻めていかないと、間違いが 起こりそうで危険である。解明を聞いた際のこちらの納得感が乏しい。またこれらが まったく行われないのは奇妙。犯人は嘘をつくもの。自白さえあればいいというもの ではない。
 さらには、犯人は何故赤児を埋めなかったのか、これだけ問題の多い夫婦が、どう して子供を作ったのか、などの説明も、やや釈然としない。
 さらには「鏡像」というタイトルの二字が、この作品の精神や内容を、充分包括的 に述べているだろうかという疑問も湧く。高林が江田の「鏡像」とは到底思えないか らである。江田には妻もいない、赤児もいない、仕送りもないし、学閥としての社会 的な地位も捨てた、単に良心的な占い師である。両者は何から何まであまりにも違っ ているから、むしろ「反鏡像」であって、似ているのは、今が幸せではないと過去の いっとき思ったということくらいで、こう思う人間は世間にいくらもいる。やはりこ こは、タイトルは正攻法で、誘拐のこととか、占いについてなどを抽出的な言葉にす べきだったのではと感じる。
 やはりこの作者は青春小説の体質なのであって、犯罪小説の緊張感演出は、方角違 いなのだろうかと感じた。しかし上手な書き手であることは明らかで、作品が発する 柔らかな空気は大変魅力的だった。改善すべき問題点は多いか、受賞に最も近い位置 にあると、個人的には感じた。

 



蘭とはただ散りゆくもの
横山仁


 同じ作者の前作、「戦火いまだやまず」に終始現れていた、ど演歌的で誇大妄想的 な男の美学パターンが、今年の作では影をひそめ、しっとりとした味わいを読ませる 書き手に変身していたので、大いに期待した。
 この作品は私立探偵ものの定型であり、人捜しのハードボイルドという、書き手に も読者にも充分膾炙された器に盛られる物語なので、成熟した男の味わいとか、押さ えた主人公の悲しみ、あるいは抑制のきいた格好つけ等々がうまく漂わなくては、成 立の前提を欠くだろう。その意味では、典型に寄り、これに依存して書かれていると はいえ、一年の間に文章力が成長し、この作者がこの方向の書き手としての資格を得 たと感じた。
 中盤までは、この種の典型をなぞった標準作かと思って読んでいたが、途中、身障 者の息子雄への思いをなじる捜査官守山に、主人公辰巳が飛びかかるあたりから、こ の作品のとがった生命力を感じて本気になった。
 結局のところこの作者は、背骨が定型なので、登場人物やその背景を、いかに類型 から脱却したものに用意できるかにかかっていたように思う。今回は準備期間もあっ たのか、阪神大震災での妻の死を傷にして引きずる主人公辰巳の存在には説得力があ るし、震災時の事件を、物語の核に届かせるかたちで作った背骨の構成も、よいもの と感じた。脇のもと上司葛城も、この種の登場人物とはちょっとパターンを違えて作 られていたと思う。
 ハードボイルドの器を使いながら、親子の情愛といったものは、割合むき出しの日 本型で、しかしこれはなかなか胸を打つから、これでよいように思った。
 淡路島上陸まではこのように快調であったが、タイトルにも現れた蘭こと麻生蘭に 主人公がたどり着くや、作者はいつもの癖を出した。冷静さを失い、抑制のたががブ チ切れて、お得意の男の美学、演歌の花道的妄想パターンが一挙に炸裂、作者の激情 、純情がむき出しになって、なかなかついていけなくなった。つまりは女に関しての この人の日本型は、毎度のことながらなかなかハードボイルドでなく、議論を誘導す る。
 むろんこれは、正しいとか誤りとかの問題ではなく、このような理想人形的女性の 登場を求める読者がどのくらいいるかの問題でもあるが、今回の小説は北朝鮮の謀略 を描くものであるから、ちょっと問題が違うように思った。アメリカに現れたハード ボイルドは、儒教道徳の教科書ではなく、女性の本来的な姿を描くこともポリシーと しているように思う。このような美人で頭もスタイルもよく、はかなげで笑顔も可愛 い性格のよい女性が、北朝鮮の国家損益がからむ物語にも、はたしてうまく填まって くれるものなのか、ちょっと疑問に思った。
 まずは若くて美人で背が高い、しかも怪しげな男をたっぷり周囲にちらつかせてい るような危険な小娘を、淡路島の海苔作りのおばちゃん集団が、これほどに愛想よく 受け入れてくれるものなのであろうか。おばさんたちに、いかなる得があったのであ ろう。
 北朝鮮で工作員としての訓練を受け、主体思想で徹底的に洗脳された人物が、唾棄 すべき鬼の国日本で、まだ逮捕されてもいないのに、こんなに性格よく言動するもの なのであろうか。
 北朝鮮側とすれば、人種的に日本人であり、しかもこのように思想的に軟弱な人材 では、捕まればたちまち国家機密を喋りそうであるから、とても日本潜入のような危 険な任務には使えない。南潜入用日本人化スパイの、日本語教育係あたりを与えてお く方が無難である。こんな人材をどうしても日本行きに使う必要があるなら、子供を 生ませてこれを人質にとっておく必要がある。
 さらに奇妙なことは、久保に貼りついていたはずの日本の公安が、久保がカン・永 換であることに気づかなかったのであろうか。これを辰巳にちらつかせれば、辰巳の 行動を違えられる。これをバラすと物語が面白くなくなるというなら、読者には解ら ないように言動させてもいい。
 カン自身も、淡路に麻生蘭がいると知っていたのに、他の部屋の住人に久保でない 自分を見られる危険を承知で、失踪した麻生の部屋を見せるなどの手の込んだ芝居を した。ここまでして辰巳に麻生捜しを依頼した目的は何だったのであろう。もしも震 災時の暴徒事件を鎮圧され、これで辰巳に恨みがあるのならば、こんな迂遠なことを していないで組織を持たない辰巳をさっさと殺し、麻生は別途始末してもいいように 思えるのだが。
 またこの暴徒煽動事件にしても、神戸では成功したにしても、これを引き金に日本 全土に民衆革命が起こり、日本に金正日体制ができあがったとも思えない。失敗した なら(失敗するだろうが)、日本国内の朝鮮人組織が表ざたになり、あとあとの工作 行動がやりにくくなるだけである。どう考えても北の組織の上層部が賛成しそうもな いので、スパイ学校を首席で卒業した工作員がやる作戦とは思われない。
 またこれがテストであるのなら、ここまでなのかと判断すればそれでよいことであ って、カンが辰巳を本気で恨む筋合いのものではない。これはどこまでやれるかの試 験であって、成功するはずもないことは、カン自身よく解っていたはず。いずれにし てもテストなのか本気なのかが、作者自身の中で少々あいまいになっているように思 われる。
 木村を殺し、手の込んだ芝居を打ってまで辰巳に罪を着せたのはカンなのか? 近 所の公園でわざわざ言い争いの芝居をさせたのも、工作員組織の朝鮮人なのか? こ れは何故か、辰巳を冤罪に落とすことが日本の革命化につながり、主体思想にかなう のか? 守山たちの疑いにも一理がある。
 また辰巳の息子の雄をカンが襲った理由も、北朝鮮の国益とは無関係で、単に辰巳 への私怨のゆえに思われる。カンはやはり神戸の暴徒鎮圧で、不可解にも、見当違い の私怨を辰巳をに対して抱いていたらしい。カンには徹頭徹尾、北朝鮮の国益とは無 縁な行動が目立つ。こういう国際謀略という背景の物語で、こういう点ははたしてよ いものか。
 淡路島で、公安が辰巳や麻生にさほど貼りつかなかったのは、あらかじめ久保に貼 りついておいて、二人が来るのを待ち受けていたという話だったと思う。そうなら公 安は、カンが久保になりすましていることを承知していたと思われる。となれば、久 保がカンに連れ出されたり、殺される危険も予知できていたと思われる。そうなら、 梶原のポンコツ船で、カンが公安を連れずに辰巳の前に現れることができたのも少々 不思議な印象である。そうならこれは、公安の思惑ということになる。
 ではカンをここまで自由に泳がせた日本の公安の思惑は何であったのか。麻生の持 つ情報などたかが知れているのでこれは切り捨て、辰巳も麻生もカンに始末させたか ったということだろうか。二人の殺害終了ののち、頃を見はからって海上保安庁の巡 視船に梶原の船を停船させ、カンを殺人罪で拘留したかったということか。そうなら 、前段階での目黒の辰巳への言動が多少違ってくるように思われるし、何の落ち度も ない本物の久保を犠牲にしたのは道義上問題だ。
 辰巳を本気で救いたかったのなら、目黒が一人で行かず、数人を伴って辰巳を強引 に押さえてもいいし、麻生の姿が見える前段階で押さえてもいい。このままでは麻生 が動かないから、人里離れた場所でカンに麻生を殺させるため、辰巳を事態に放り込 もうと考えたのか。
 そうならカンの行動は、わが公安の期待を大いに裏切ってまことにドジなものであ った。カンは何故辰巳をすぐに殺さなかったのか。また彼を縛していた縄がこんなに 簡単に切れるとは、あらかじめ切れ目が入っていたとしか思われない。
 カンは何故すぐに麻生蘭を殺さなかったのか。また殺さないのなら、何故辰巳が出 てきたところで、終始生かして保身の楯に使わなかったのか。彼女をすぐに突き放し ては、辰巳に撃たれるのは当り前である。
 もしもこの時のカンが、二人を捕虜として、生かしたまま北朝鮮のチョンジン港に 連れ帰りたかったのならば、こんなポンコツ船ではわが巡視船を振りきるのはまった く無理な相談なので、エンジンを補強した、例の強力な工作船を用意しなくてはなら なかった。カンはいったい何がしたかったのか? どう見ても辰巳に撃たれて死にた かったとしか思われないが。
 すべては日本の公安の掌中の思惑展開ならば、これに填まった工作員のカンは、つ まるところどこから見ても二流で、こんな男が首席では、北のスパイ学校も大したこ とはないと言わなくてはならない。
 いずれにしても、これはこの作者の罪ではないが、今や連日のテレビ報道の方が北 朝鮮の内情を遥かに詳しく、遥かにショッキングに伝えているので、この種の小説は もっと高度の情報を用い、もっと戦慄すべき北の内情を読ませて欲しい気はした。昨 今の拉致事件解明で、少々発表のタイミングが悪かったように思える。



日出ずる国のアリス
三上 洸

 血と暴力と、威圧の罵声に彩られた格好いい男の小説、というこの種のものは、こ れまでにも数多く、「蘭とはただ散りゆくもの」もまた、この方向の小説と言ってい いだろう。そういう中にあってこの作品は上質で、特に前段での文章表現が的確で、 知的で、気も利いていた。これは経営の知識とか、車や小物やドラッグの用語の使い 方が巧みだったことに支えられている。
 広大で、多民族が入り乱れ、戦争体験の記憶が生々しいアメリカと同等の派手なガ ン・ファイティング、また暴力の応酬も、初段では的確な表現に説得力を感じ、さほ どリアリティが気にならなかった。
 しかしこれは個人的な好みなのだろうが、この種の劇画ふう妄想小説において、作 者にとっての理想の女性が登場するや、たちまちストーリーが幼くなってついていけ なくなるケースは多い。かといって作者の執筆の目的はこれなので、修正はきかない 。この作品では、京子には嫌味がなかったし、アリスも可愛いらしく描かれていたか ら、たちまちではなかったものの、幼女姦に興味がないので、やはり終始不思議な印 象を受け続けた。
 この種のことが世間にあるのは承知している。けれども少女アリスと主人公マーく んの逃避行が進み、関係が密になって行くにつれ、だんだんに首をかしげたり、鼻に つく無理も感じられてきた。
 やくざ型の言動を嫌っていた主人公であるはずなのに、あきらかに英語世界の物語 であるはずのアリスへの口調が、どうにも日本ふうで、好みでなくなり、「マーくん 」という呼ばせ方もそうだが、レジャー仕様のホテルに入ってからのマーくんの奇妙 な戸惑いとか、アリスへの欲情、さらにはこの子供への異様な固執の仕方などがだん だん理解不能になってきて、ついて行けなくなった。
 どこか人知れない外国の小島に行って、二人だけで死ぬまで一緒に暮らそうとまで 、九歳の日本の子を相手に、男は思うものなのであろうか。巧みなメイクアップでも していればあるいはとも思われるが、それなら逃避行中、徐々に化粧が落ち、子供の 素顔に接するようになれば、おとなの分別も刺激され、もっと別種の物語展開が生じ るのが自然に思われるのだが。
 つまるところこの物語は、あきらかに白人世界のものである。白人種の子供ならば 、九歳時の方がむしろ完成した美人という子は実在するし、性器の公開が合法の欧米 においては、それ故に未成年の性の公開は厳禁する。よって未成年の性を扱えば重大 刑事犯罪ともなるから、禁じられたこういう幼い性を売り買いする闇の商売は、非常 な高値を呼ぶという構造が生じる。日本はこのあたりの規制が、法的にも宗教的にも すこぶるあいまいだし、東洋人の子供は、幼児期にはさほどの色気がないので、どう 見ても無理があるように感じた。
 こういう事情を斟酌せず、無思慮に欧米型の犯罪を日本に持ち込んでいるふうなの で、だんだんに文章意識もあまり高度でなく、事件を展開する腕も二流に感じられて きた。中盤以降、物語は初段階での快調なテンポや、水準を越えていた意識を失って 、あちこちで不手際を露呈する、ごく月並みな候補作品の様相を呈するようになった 。成熟した男性世界への理解を示す、格好よく的確な専門用語も、徐々にその必要が なくなって感じられた。
 まず山梨県上野原町の京子は 男手が絶対に必要となるはずの自然の中で一人暮ら しをし、顔もそれなりに可愛く、また新人賞を獲った新進の作家でもあるのに、男性 が全然できなかったのであろうか。まあできないのはよいとしても、主人公がこの可 能性を少しも考慮しないのは奇妙である。まるで主人公の到来を、一人でじっと待っ ていたというふうであるが、主人公もまた、まるで自明のもののようにそう期待して いる。
 主人公に「野生児」と評されて歯をむき出し、ひっかく仕草をする京子、マリー・ アントワネットの口調を堂々と真似る京子のむき出しの教養自慢、ビル・エバンスの 「アリス・イン・ワンダーランド」を皮肉としてかける京子の教養的センス、またこ れらを無抵抗で自慢げに書いてしまう文体は、なかなかに鳥肌ものとなって、初段で の洒脱なセンスを、このあたりにいたって喪失した。作者自身、アリスの魅力にまい ってしまって、女性への冷静さを失なったというふうだ。これは、「蘭とはただ散り ゆくもの」とまったく同じ構造だった。
 以降、活劇のヒーローとしての主人公も、不可解な不手際を多々演じるようになっ て、読んでいて歯がゆかった。位置確認の電波発信源となっていたPHSの処理はう まかったが、テディベアの中の発信機を発見した際、女が一人暮らしの家のすぐ近く まで敵がすでに迫っているのに、何故これを無思慮に壊してしまうのか。これの活用 はいくらも考えられた。壊すのはまだ敵が遠くにいる段階での対処であって、突き止 められてから壊したのでは意味がない。そうなったなら、発信機を持ち、即刻車で陽 動行為に飛び出すのが男というものであろう。主人公にはその責任があるし、ここに 女たちを助ける最大級のチャンスが到来してもいた。
 また、ここまで敵が迫っているというのに、その備えもしっかりせずにおいて、の んびりクリスマス・パーティをやろうと言いだすのも不可解の窮みだし、女二人を家 に置いて呑気に買い物に出るにいたっては、もう言語道断、発狂的不手際というほか ない。これでは京子が殺されるのは当然で、敵から女たちを離せなかったのなら、主 人公は彼女らを連れて場所を移動してしかるべき。
 好みの問題はあるが、復讐活劇に入ってからも、首をかしげることは多い。寒川の 家に潜入したまではよいとして、何故主人公は蜂谷を撃たずに逃がすのか。また蜂谷 が寒川を射殺した瞬間、何故主人公もまた蜂谷を撃たなかったのか。作者があとで主 人公助けようと考えていることがありありで、これでは通常、主人公が助かる道理は ない。
 敵に捕縛されている時、顧客リストをコピーしたフロッピーを持っていると主人公 が口にするだけで、何故蜂谷は簡単に主人公たちの戒めを解くのか。公表しないとい う、弁護士を含めた交換取引の後でなくては危ないのではないか。
 このような幼児売春の組織が、主として外国人男性を相手に東京に存在することは ある程度信じられるとしても、顧客層の地位を考えれば、その経営には徹底した慎重 さ、繊細さ、秘密裏が要求される。にも関わらず、これほど馬鹿馬鹿しいまでに一般 人の死体を量産すれば、遺体を隠すつもりでいたにしても、大量の行方不明者は出る ことになって、秘密を知る関係者の口も増す。関越自動車道での衆人環視の大立ち廻 りなどは論外というものである。
 北朝鮮拉致者が国をあげての騒ぎだというのに、蜂谷とその部下の知能程度からい って、今後大量に出続けるであろう行方不明者を、世を忍ぶ売春組織がいったいどの ように隠蔽するつもりでいたのか。このあたりにいたると、当初の意図を作者自ら忘 れてしまったように思われる。
 悪人側の慎重さが極端に消滅し、後半、物語があまりにリアリティを失った。これ までに数多い、ハリウッド映画+劇画という例の大量候補作例のパターンに、この上 手と見えた作品も加わってしまった。
 しかしアリスが無事生き残ったのは、後味が悪くならず、よかった。養護施設にア リスを訪ね、逡巡ののち、ついに会わないで帰る決心をする主人公の男気は、なかな か胸を打つ。クライマックスの復讐活劇は相当リアリティを失ったし、トラックに派 手に轢ねられて生き残る主人公はまるでサイボーグのようだが、また高地位で著名な はずの顧客たちの立場は、組織露見でどうなったのかもいささか気になるが、着地は すこぶるうまく決まったと思う。

 

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