ロング・インタヴュー、 「秋好事件」を脱稿して。

 以下のものは、一九九四年九月二十二日に、立教のミステリ研のロング・インタヴューに答えたものの一部です。鮎川賞のパーティの何時間か前に、飯田橋の喫茶店で行いました。この時私は「秋好事件」を脱稿したばかりで、この原稿の出版を可能とするため、削除する場所、残す場所の駆け引きを講談社と行っている最中でしたから、今から見るとなかなか生々しい証言となっています。

 インタヴュアーは、現在評論家として活躍している岸洋一氏、全文は彼らの同人誌「立教ミステリ」に、「島田荘司特集号」として掲載されました。インタヴューは、本格ミステリー論を中心に、この時点までの自著の表紙のデサインに関してや、映画談義にまでおよびましたが、このコンテンツには、「秋好事件」に関連している部分のみを抜粋して公開します。

2000年8月5日記

『インタビュアー』
今年の新作は二千枚のドキュメンタリー・ノベルだという話を聞いていますが。

『島田』 
うん、まずその苦労話からしてみます。このところ講談社から、毎年秋の恒例みたいになってしまった長いものですが、今年のはこれまでと変わった作品なんです。

 今までもそうだったけど、これがまた賛否両論、本格ミステリー・マニアの人たちにとっては間違いなく否の方に諸手が挙がる、今まで以上に非難が激しくなる種類のものと、もうとっくに覚悟しています。というのは、ある実事件をモデルとしたもの、つまり実際に起こったことを克明に描写した小説なんですね。主人公と公人以外はみんな仮名にしたので、だから小説であると同時に、ノン・フィクションともいえるんです。

今までも世間にその種のものは多かったんですけど、それらの多くは確定した事件を扱っていて、刑事裁判の判決に異を唱えて、これの破棄を真正面から要求するような危険なものではなかったわけですね。今回のぼくのものが少々変わっている理由のひとつは、現在まだ係争中の事件だということです。現在の日本の裁判というのは、陪審員の制度がないから、三審制度というものを取っているわけですね。まず一審があり、次いで二審があり、最後に最高裁があるというように、被告が判決を受け入れなければ、三回まで審査がなされる。これは慎重の上にも慎重を期すためですね。

 最高裁の判決はもう確定という形でね、ここまで来たら、被告の主張に関係なく刑が執行される。だから死刑の場合も、最高裁で死刑判決が出たら、それが確定となって、いずれ強制的に殺されるわけです。

 今回取りあげた事件は死刑事案で、今二審までが終了していて、双方ともに死刑判決が出ている。あとはもう最高裁を残すだけというケースなんですけど、最高裁というのは立証申請というものは原則的にないから、そして新しい証拠などというものはまずもってもう期待できないから、基本的に今までのふたつの裁判の記録を、最高裁の判事が読んで判断するだけです。

 日本の裁判の判決には、やはり強い面子意識が発生します。たとえば最高裁の裁判官が、これまでの二つの判決を否定する判決を出したら、これは前二人の裁判官に恥をかかせることになる、こういう発想が日本なんですね。たとえば死刑判決を、最高裁がひっくり返して無罪判決を出すと、こういうことを最高裁判事がもし二度も続けて行ったら、その裁判官は大学教授にでも転じなければならないという厳しい現実がわが日本ではあるんです。だからよほど決定的な新しい証拠か、別の角度から今まで誰も気づかなかった、しかも非常に説得力のある考え方でも提出しな限り駄目です。

 しかもそれだけでもまだ駄目で、こういう判断を大勢の国民が支持しているのだという駄目押しのアピールを事前に繰り返し行なっておかないと、前ふたつの判決を支持するという無難な判断が、最高裁でも示されやすいわけです。まあ事なかれに流れやすい。

この事件は、秋好英明という人が、四人を殺したとして死刑判決が二度出ているんですが、彼と一年以上手紙のやりとりをして、それから彼の裁判の膨大な資料を読んで、ぼくは彼の言うことを信じたわけです。本人は一人しか殺していないと言っているんだけど、その主張は正しく、このケースでは裁判所の認定が誤ったと確信したんですね。一人しか殺していないなら、死刑相当の事案ではない。しかしことがここまで来てしまっている以上、誰かがリスクを引き請けて、よほどの思いきったことをしない限り、これまで出ている判決が覆るということは、日本の慣例としては九十九・九九%考えられないんです。このまま放っておけば確実に死刑が確定してしまう、つまり彼は誤って殺されてしまうので、そういう非常な危機感を感じてこれを書いたということです。

 ここに誤った裁判があって、人が一人、間違われて国家に殺されようとしている。

 しかしまだ、今ならかろうじて判断が正される余地が残っている。か細い糸みたいな可能性だけど、残っている。こういう時、誰がこの被告を助けられるか? 支援団体か? これはあるんだけど、せいぜいが数十人の勢力なんです。世論を動かすには到底足りない。また市井で動いた人間は、英雄気どりの馬鹿者としてきっちりと虐めに遭うのがわが現実です。大出版社しかないんですね。裁判の誤りを正せる可能性を持つ者はね。

 むろん自分一人の力で彼を助けられるなんて、ぼくがうぬぼれているわけじゃないです。ここは日本だから、裁判官が無視しきれないだけの量の日本人一般のジャッジメントを、目に見えるものとして作っておきたいと思ったんです。極端なことを言うと、日本の司法は軍国主義の時代と基本的に変わってはいない。真実より国民感情、もっといえば、みんなが一生懸命真面目に働く気力を失わせないような判決を出すことの方が重要視されているんです。日本人は世界一の大金持ちで、しかしその気分は、まだまだ極端に貧しい極東の民なんですね。

 でもこんな馬鹿馬鹿しい仕事ができる人間は限られるんですね。失うものが何もないような人間じゃないとやれない。ぼくなら賞も取っていないし、どの文芸団体にも属していない。誰にも迷惑をかけることがないんです。しかし一方、せめてぼく程度の立場がないとね、注目度もないし、本の部数も出ない。注目度があって、本の部数も出るような作家は、こんな馬鹿なことはしない。へたをすりゃ命取りですからね。

まずいことにぼくしかいないんです。

 この作品が文庫に入って、部数が十万部も出れば、国民がこれまでのふたつの判決をもう支持していないという印象を、判定者に与えられるんです。ぼくなどが今のポジションまでも上がれたのは、本当にラッキーだったと思うし、みんなには感謝しています。だから今あるこの立場を使って、ぼくにしかできない仕事がもし世の中にあるのなら、喜んでやりたいと思うんです。今あるのができすぎなんだから、信じる仕事と引き換えになら、いつだってもとの無名時代に戻ろうと思います。

 あとは講談社が、ぼくが死刑囚にだまされているんじゃないということを、「秋好事件」をよく読んで確かめて欲しいんですね。こういう心配は当然抱くでしょうからね。それでも心配なら、被告がどんな人となりをしているか、彼に面会するなどして確かめて欲しいんです。

 ともかくそういうわけだからこの作品は、読者の意表を突くような、しかもほかの可能性なんてまったくない、たったひとつの結論が終章でポンと引き出せるというような、そういうものではないんです。作りものの物語じゃないから。だからこの辺がまず、反対派の非難のストーリー作りに理由を与えるでしょう。

 だけど今度のものこそが、マニアや実作者にとっては大変に貴重な、ありがたいものともなるはずなんです。何故なら、この物語の中に網羅されている公判調書だとか、警察が作った被疑者の供述調書、それから同じく警察が作った殺人現場の実況見分調書、これは図面や写真も含めたものだけど、それから四つの死体の鑑定書、これらは全部本物を使っているからなんです。


 ぼくが書いた被告の半生記の部分はともかく、これらの部分はね、普段なかなか目にする機会はないと思う。これから推理小説を書こうとしている人たちにとっては、これらは間違いなく重要な参考資料になると思います。ぼくの文章なんか読みたくないという人は、こういうあたりだけでもコピーをとって、持っておいたらどうかな。

 まあこういう記録文の文体を、完全に真似をして書いてしまっては堅苦しくて読みにくいものになると思うけど、全然知らずに書く不安からは解消されるでしょうからね。

 ですから今回のぼくの作品は、ちょっと読みにくいものにはなっていると思う。まあ供述調書だけでも何種類もあるし、裁判の公判調書は膨大だし、これを全部載せてしまうと、資料だけでもう何千枚も行っちゃうのでね、うんと削って少なくはしていますが、それでも今年の作品は、量が多いうえに読みづらいことは確かですね。調書なんてものは、一般市民に読まれることなんか想定して書いてはいないですからね。

 まあ大学のミステリー研ということで言うと、今回は法学部の人だけに読んでもらおうかな。

 そういう作品なのですが、ちょっと語弊を恐れずに言えば、これは今までぼくが書いてきたたくさんの小説以上の価値が、ある意味ではあると思ってます。理由は今言ったようなことですが、もうひとつは、主人公の秋好英明氏は昭和十七年に満州で生まれて、お母さんと一緒に舞鶴に引き揚げてきて、戦争で荒廃した日本の底辺を這い廻るようにして三十四年間を生きて、そうしてついに殺人を犯すにいたるわけです。

 底辺の労働にあえぐ彼の生活を描写していくと、その間日本には六○年安保があり、高度経済成長があり、新幹線が走りはじめ、東京オリンピックがありというように、近代日本の激動の成長期がぴったり重なるわけです。今われわれが知る日本という国の大部分が、この時期に大急ぎで作られているんです。

 この原点には、いうまでもないですが太平洋戦争というものがあった。満州という国家は、日米戦争の原因となった大陸侵攻というわが国策の結果ですのでね。すなわち秋好英明の人生をたどるということは、日本が開国以来最も激動した時期をそのまま再現する、記録として遺すという仕事にもなってくる。すなわち彼の事件というものは、日本の昭和史の投影であって、この性急なわが昭和史が、彼に殺人を犯させたというところもあるんです。これはわが人情の荒廃ですね。他者徹底追求、目下軽蔑、徒弟型の虐め、嘲笑、威張り、そういったわが国民病。これはその時期を生きた者による、わが社会の底辺の底辺からの声です。そんなわけで、ちょっと文芸的な作品にもなるんです。

 たとえば昭和三十〜四十年頃の日本における底辺の労働者というのは、まあ皆さんのように大学を出ていれば別だけど、学歴が作れなかった者は、一日十二時間労働を強いられるのが普通だったんです。あるいは一週間交替で必ず夜勤があった。だから体がもたないから、多くの者が覚醒剤を打って働いていたという証言もあるんです。

 行政や企業がこれを知らなかったはずはないが、取り締まると労働能力が落ちるからと、何となく放置していたふしもある。これもまた、高度成長期を「もうひとつの戦争」と言わしめる要素です。そういう証言も、平和な今となっては価値があるんじゃないかと思いますしね。まあ本格のミステリー・マニアにとっては、あんまり価値を見いだせない要素だろうけど。

 今回の作品は、ミステリー・マニアの賛否両論ということもだけど、その以前に、講談社にとって大変に危険な代物だったわけですね。どういうことかというと、被告秋好英明が一人しか殺していないと主張することは、今国家によって殺されかかっている秋好氏以上の重罪を犯し、卑怯にもこの罪を秋好一人に押しつけ、自らの罪は世間に押し隠したまま、たった今ものうのうと社会で暮らしている共犯者の存在というものを、必然的に主張してしまうからです。これを避けては秋好英明を助けることができない。すると三人を殺したとぼくに言いがかりをつけられる共犯者は、その周辺の身内たちと一緒に、自らが社会で生き延びるため、著者と講談社を名誉毀損で提訴してくることが考えられます。これを恐れるから、また提訴された後の闘いを有利に進めるために、講談社は大変な勢いで自主規制をし、また手当をこちらに要求してきたわけですね。

 それで今回ぼくは、これまでの作家生活中はじめて、文章を書いては捨て、書いては捨てということをやりました。作中、殺人の描写が長々とあったんだけど、彼らの主張を入れてこれをバッサリ捨て、じゃあ代わりにこの文章を入れたいのだけどとこっちが言い、いやこれでもまだ危ないんで駄目ですよと言われる、弁護士を交えて深夜話し合いをやったりして、結果はやっぱり駄目。じゃあ仕方ない、これは削るけどこっちの文章は通してくれ、それからこっちの半分くらいは残して欲しい、というような駆け引きをさんざんやり、でも講談社が何日も審議した結果、やっぱりそれは駄目ということになっちゃったりと。まあそういう調子でね、いやになるくらいやっさもっさをやった。みんな民事裁判くらいはとっくに覚悟しているんですね。それなのに何故俺はこんなに弱腰になるんだろうと思ったりしてね、最後には自分が情けなくなってきた。でも講談社としても、こんな危ないものは出さないとひと言言えばそれですむことを、裁判まで覚悟してね、よくやってくれたと思います。このことには今感謝しています。

 だから「秋好事件」は、七月末にはもう脱稿していたのだけど、やっと昨日、ゲラの再稿を返したというありさまでね。これからもまだ、ひと悶着もふた悶着もやる可能性が残っている。だから十月二十五日の奥付にしようということはもう決めてるんだけど、この出版は危いところだよね。もっと遅れる可能性も今出てきている。今そんなような状態なんです。

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