女性たち全員にいきわたるだけの椅子はもちろんないので、立食パーティのような雰囲気で、楽しい時間を過ごした。いぜん御手洗は姿をくらましたままだったので、男は私ひとりきりだったが、里美や他の女性たちも話題には気をつかってくれ、ウォールフラワーにはならずにすんだ。
部屋の飾りつけは、私と小幡さんが部屋を出てすぐに始まったそうだ。部屋には御手洗が持っている鍵を借りて入ったらしい。こういう段取りは、すべて小幡さんが指示したそうだ。帰り道で説明を聞いた時は、御手洗に会いたいがために用意した計画かと思ったが、私をアパートから連れ出して、その隙にパーティの準備をすることに重点が置かれていたらしい。
しかし、なかなかうまいことを考えたものだ。「里美が男好き!?」計画ならば、御手洗に会うこともできるし、時間の調整もきく、もちろん私を部屋から連れ出すことだってできる。それにもしも計画が私に発覚しても、誕生日会そのものには影響がないという点がよくできている。女性たちには、勝手に部屋に上がり込んですみませんと言われたが、同居人の御手洗がOKしているのだから、私としては何も言うことはない。それにこんなに盛大に誕生日を祝ってもらったのははじめてだったから。とにかく嬉しかった。
開始時刻が遅かったこともあり、一時間そこそこでお開きとなった。少々残念では あるが、女性たちをあまり夜遅くまでつき合わせるわけにもいかなかった。それに、一瞬ではあるが御手洗の姿を見ることができたので、ほとんどの女性はたいへんに満足したようだった。
「やだっ、御手洗さん帰ってくるまで絶対待つもん」
という強情な女性もいるにはいたが、小幡さんが、「でも、ふたりの夜を邪魔しちゃ悪いよ」というと途端に納得して帰っていった。なんだか複雑な気分である。
それにしても今回の里美の役割は、他の女性たちから見て、またしても羨ましい位置ではないだろうか。ミス研での里美の立場が、ますます悪くならないことを祈るばかりだ。
女性たちが帰り、部屋がすっかりがらんとしてしまったと思っていたら、御手洗がひょっこり帰ってきた。いったいどうやって、女性たちの帰宅を知ったのであろう。
相変わらず謎の多い男だ。
「どう? 楽しかったかい」
ソファにどさっと腰かけると、御手洗は言った
「……うん、まあね」
素直に喜ぶのが何となく気恥ずかしく、私は控えめに言った。
「それはなによりだ。君はもっと楽しむことを覚えたほうがいい。あまり陰気な顔ばかりしてると、ガールフレンドにも逃げられるぜ」
「それって、里美ちゃんのこと?」
「誰でもいいよ。だが、彼女は本当に君のことを心配している様子だったな……」
そうならとても嬉しい。それから、里美が本当に男好きでなくてよかった。いまあらためてそう思う。
「わざわざぼくの誕生日のために来てくれたのに、気づかなくってごめん」
私は、先ほど言いそびれた礼をするつもりだった。
パーティが始まる直前に、御手洗の言っていた言葉がまだ耳に残っている。心配かけたくなくて御手洗との国際電話では大きなことばかり言っていたから(女子大生の友人がたくさんいるとか)、昨夜御手洗は、部屋で誕生パーティでも行われていると思って戻ってきたのだろう。それなのに、私が一人ぽつねんとコンビニ弁当を食べていたものだから、さぞかしショックだったのだ。それがあんな鬱状態を引き起こすきっかけになってしまった。
いま考えれば、「精神的な時差惚け」と彼が言った意味も、なんとなくわかる。御手洗にとっては、ちょっと外国に旅行に行ったような感覚で帰国してみると、私が部屋でひとり、老人のように無気力になっていたから、そんなことを言ったのだ。雨がどうとか言い、時間の非情さについて憂いていたのも、きっと同じような理由からだ。つまり、原因はすべて私にあったのだ。
「何を勘違いしてるんだい、石岡君」
御手洗はぴしゃりと言った。
「ほんのついでだよ。明日は大切な友人と会う約束があってね。まあ日本の秋は嫌いじゃないから、少し早めに帰ってきたんだ。誤解させたのなら悪かったね」
「じゃああの鬱病はなんなんだい? ぼくのせいじゃないってのかい?」
「あたり前さ、疲れだよ君。ここ数年はろくに休みも取らず、研究に没頭していたからね。いろいろと内省する時間も時には必要だよ」
この調子だと、さっきのセリフも、「そんなこと言った憶えはないよ」と一蹴されてしまいそうだ。
御手洗が、自分のしたことに対して感謝を受けたがらない男であることは十分承知していたが、たまには素直に受けてくれてもいいのではないか。なんとなくさびしい。
少ししょげていると、急に何かを思い出したように、御手洗がニヤニヤ笑いをはじめた。
「いや、それにしても『この野郎!』か、あれはよかったね、石岡君」
そんなことを言って、私の肩をポンとたたく。
「君のあんな元気な声を聞くのは、二十年ぶりぐらいかな」
私はまた顔を赤らめてしまう。
「もうそのことは言わないでくれよ」
「この野郎!」、語気荒く叫んだあの時、一番驚いていたのはきっと私自身だ。無気力に日々を見送るうち、そんな激しい感情は、とっくに自分からは失われてしまったと思っていた。だが、まだ死んでいなかったのだ。私の中で、ただ眠っていただけなのだ。私は今日、そのことに気づくことができた。あの燃えるような若い感情、あれが私の胸の内に存在するなら、まだどんなことでもやれる、そんな気がする。
それを教えてくれた里美や小幡さん、そして何よりも御手洗には、やはり感謝せねばなるまい。里美の危機が嘘だと知った時は、なんてひどいいたずらだと思ったが、いま思えばあれも、無気力な私に喝を入れるために御手洗が考えたことなのだろう。
相変わらず辛辣で厳しい教師だが、いつも彼は、私に大事な何かを思い出させてくれる。それが彼流の優しさなのだ。
「フフ、まったく君ほど騙しがいのあるひとは、世界中探してもいないね」
御手洗はまだニヤついている。やがて思い出し笑いがとまらなくなったのか、「ククク」と忍び笑いを始め、さらには、とても堪えきれないといった様子で腹を抱え、「あはは」と大笑いを始めた。この様子を見ていると、ひょっとしたら全部私の勘違いで、この男は単に意地が悪いだけなのかもしれないとも思えてくる。
だがそれでもいいと思う。少なくとも私を心配してくれ、誕生日会まで開いてくれる人たちがいる、それが今夜わかった。私はひとりぼっちじゃない。これを実感することができたのだ。それだけで充分だ。
最悪の一日になるという私の予感は、見事にはずれた。小幡さんや里美、特に御手洗にさんざん踊らされた一日だったが、最後の最後には、踊りだしたいほどに幸福な一夜だった。
(おしまい) |